昭和二十六年九月一日 『御教え集』二号 (7)

御教え 『文明の創造』の「医学篇」だけはだいたいできあがって、いま「宗教篇」のほうに入っているんですが、最初は霊的病気ですね。つまり、霊的病気としてはやはり宗教的に説かなければならないから、そこでいま宗教的に書き始めたんですが、最初精神病と癲癇の解説です。これについて守護神に関係したのを説いた。これははっきり分かることですが、非常に結構なんで、読ませるけれど、あとで話でも、もう一回精しく分からせようと思う。

(御論文「精神病と癲癇」朗読)〔「著述篇」第一〇巻二六九-二七八頁〕

 眠られないと言うのですが、あれを書いてないがこういうわけなんです。ここ(頭の上)が希薄になり、延髄の固まりが圧迫する。するとここ(頭の上)に来る血液が来なくなり希薄になる。それでここに霊が憑る。そこに乗っかる。それでいろんな考え事をさせる。それで眠られないと言うのは、いろんな考え事をさせるんですね。その考え事というのは副守護神です。ここ(頭部)を充実させるにはここ(延髄)の固まりを溶かすんです。連続的に考え事をしていると睡眠不足で眠られなくなる。そのような人はここ(延髄)に固まりがあります。寝られないで考え事ばかりしているとここ(頭部)に憑いている先生がのさばってきてだんだん考え事ばかりするようになる。それが精神病です。浄霊すると、そこにいるのが萎縮するというわけなんです。

  「人」という字の「Ω」は天から下った形です。「ノ」の字ですね。天皇の「皇」ですね。そういう意味です。天から下った「日」ですね。その「王」です。「人」という字もそうです。それから「Π」は獣です。そこで「Ω」は本当の善で、「Π」は獣で、悪です。これが支えている。これが人間です。ところがいまの人は「入」という字です。「ζ」のほうが抜けている。「Ω」が長くなって支えているのですが、いまの人間は「ζ」が突き出ている。そうすると「×」になる。「×」は消えちゃう。神様はうまくつくられたものと思う。この理屈が分かればいい。やっぱり霊主体従の形ですね。(御論文中「人間向上すれば神となり下落すれば獣となる」とあり)それですからこれ(上の横棒)とこれ(下の横棒)の間になるわけですね。これをすっかり読めば守護神のことはすっかり分かります。それで、正守護神はたいてい一人ですが、一人で間に合わないときがある。そういうときは他の祖霊に手伝ってもらう。それから狐ですね。それに手伝ってもらうというのは、人間に憑って、口を切ったり、知らせたりするのを狐は非常に上手いんです。そこで狐に頼むんです。お前、こういうことを話してくれとか、言ってくれとか言うんです。ところが狐の先生、その通り言うと良いが自分のことを出すんです。そこでこっちのほうで、祖霊が言うのか狐が言うのか迷うんです。それを判識するだけの眼識が出ればいいんです。しかし、だいたいしゃべる骨子が、正しいか正しくないか。常識にかなうかどうかで判断すれば、だいたい間違いないです。その他、夢知らせがありますね。これはみんな正守護神がやらせるんです。これは西洋では守護霊と言うんですね。それからごく危急の場合には、正守護神が神様にお願いするわけです。そこで神様が力を貸してくださるんです。危急の場合なんですが、それが奇蹟と言うんです。奇蹟は正守護神がつくるんですね。大きい奇蹟は神様から力を借りるんです。こういうふうに見れば良く分かる。そこで、こういうふうに説いていくと、本当に人間は悪いことをしてはいけない。良いことをしなくてはいけないということがはっきり分かる。いままでの宗教はここまで説かない。もっと漠然とした抽象的な説き方です。だから徹底して分からない。宗教の信者で信仰しながら、かなり間違ったことをする信仰がありますが、これは徹底して説かなかったからですね。もっと徹底して説いてあればメシヤ教が出る必要はない。

 いよいよ講和になっておめでたいというわけだけれども、なかなかどうも、ふつうのときの講和と違いますからね。講和後はどうなるか分からない。なにしろ中共軍……共産軍のほうは、いま、北朝鮮のほうに八五万集結してますね。人間はいくらでもあるので、そういうことができるんです。それで八五万集結してる。どういう目的でやるかということです。しかしいままでのように三八度線を突破しても、いまの米国の機械力にはやっぱりかなわないで死人の山をつくる、ということは分かっているんですね。そこで彼のほうの計画はどこにあるかということを考えてみると、もしか私がスターリンとすれば……毛沢東とすれば、そうしておいて日本の北端ですね。これは樺太や千島にだいぶ前から準備をしてますからね。北海道に進撃すると、今度は驚いて、米国のほうで、うんとそっちのほうに力を分けなければならない。そうするとどうしても、朝鮮のほうは手薄になりますから、そこで八五万が怒涛のごとく押してこないとも限らないですね。けれども、ソ連のほうでそうするには、なにか理屈をつけなければならない。その理屈を今度の講和問題の結末か、あるいは講和問題の折衝に対し、どうせソ連は米国と反対のようないろんな厄介なことを言い出すでしょうが、それが通らない場合に、日本をやっつける作戦に出るかもしれない。いますぐやらないでも、時の問題ですね。そうすると講和になってから喜んでいられるか、びっくりするかちょっと分からないですね。そう出るか、あるいは東南アジア……あっちのほうにもだいぶ準備してますからね。そこに出るか、あるいはイラン、イラクあたりですね。イランですね。石油問題をきっかけにイランと提携すると、米英のほうでは黙ってないだろうから、そこで悶着が起る。一遍に火をつけるかどうか、そいつは分からないが、なにしろこれからは、どうなったって本当の平和は来っこない。だから停戦問題のとき言ったように、戦争を引き延ばす手段だと言ったが、やっぱりそうだったんですね。一時停戦して大いに準備しようという……最もあの勢いでやられてはたまらないです。自分のほうを立て直すために、一時やったんですね。やっぱりマッカーサー元帥の作戦が光っているんですね。マッカーサーの作戦は、一挙に満州を爆撃して、中共を根こそぎやっつけるというのが、反対されて覆えされたが、その作戦は私の考えと同じです。いまでも、その作戦は光っていますね。いまのやり方はちょうど蛇の生殺しですね。一時的で、今度殺すときには非常に骨が折れるということになる。そこで、いまアメリカのほうでもマッカーサーの作戦をいくらか用い始めた。やはり満州爆撃もやるでしょうし、だいぶ……原子爆弾も持ってきて準備したようですが、それが共産軍のほうでは恐いんです。それで、作戦を大いに変えなければならないんですね。変えると言うと、日本ですからね。だから、なかなか油断はできない。それで、結局なんだかんだと言って第三次戦争になるんです。ただ、それまでいろいろ波瀾がありますね。アメリカのほうでは、極力延ばしておいて、できるだけ準備をするという方針に出てますが、これは結構ですが、その代わりソ連のほうでも準備してますからね。戦争は延びるだけ大きくなるということを先に言ったが、やはり神様のほうは、それでなければならないわけですね。今度は、本当の世界の大浄化ですから、生半可では本当の世界のお浄めはできない。だから、うんとお浄めするということは、うんと破壊するということですね。大規模な破壊ですね。それが本当のお浄めですからね。打ち払い焼き払うと言うんですね。だから、恐ろしくもあり、ありがたくもあるというわけですね。そこで、戦争はそういう具合ですが、その他に……やはりだんだん浄化が強くなりますからね。病人が非常に増えるわけですね。赤痢なんか非常に多いですね。やはり浄化がそれだけ強くなったわけですね。信者さんなんかでも病気の浄化が強いようですが、一般の方になったらたいへんです。なにしろいまの人間の体をみると、実に毒が多いですからね。これはみなさんも良く知っているでしょうがね。これが、一遍に浄化が起ったら、どうするかという状態ですね。それから、社会でも悪い人間が多すぎますからね。信者になった人は良いけれども、そうでない人は油断のならない人間ばかりと言って良いくらいですね。

 今度の『新しき暴力』に対して、私は付録を書きましたがね。なにしろ、あの付録を見れば分かりますがね。警察官などのやり方はとうてい信じられないですね。ぜんぜん拵え事ばかりです。だから、この間の新聞にも……殺人なんですがね……あれは警察官がつくったものですね。拷問同様なことしてつくったものですね。それで起訴されて、一審では無罪で、検事控訴で、二審も無罪です。無罪になっても疑いがあるから大いに調べると、検事が言っているが、被告のほうでは、検事のひどい取り調べを告訴しましたが、ああいうことを聞くと、われわれは良く分かります。犯罪製造検事ですね。熱心なのはたしかに熱心ですね。熱心なことは感心します。だが、そうなってくると、平沢の事件なんかも、どうなるか分からないように思われてくるですね。いまもって、平沢はがんばってますが、平沢の言うことも信じられませんが、いまの警察官や検事のやり方をみると、どうも平沢は……悪いことはある。それは自分でも認めているが……毒殺事件、あのほうはどうだか分からないというような気がしてくるんですね。あんまり、そういうことは言えませんが、そういうふうに思われるほどのやり方がさかんに行なわれてますからね。だから、正しくやっていれば、平沢の問題だって、無論当局を信じますが、信じられないようなやり方をするんで困ってますがね。

 今度の『新しき暴力』は、付録が出るんですが、あれもできるだけ世間に広めて世論をつくりたいですね。今後も、罪のない人が罪にされるかも分からない。そういう人を救ってやらなければならない。実にかわいそうです。やはり「救世」の意味からね。悪人のために善人が苦しむということは救わなければならない。救うには世間に知らさなければならない。そうして、そういうやり方を改正しなければならないという意味から、宗教家としては似合わしからぬことをやった。というわけではないが、いままで悪人がのさばって、善人が引っ込んで、頭を押さえられていたが、これが非常に悪い。私はあくまでも、善は助けなければならないと思う。大いに善を弘げて、悪人とか……悪はやっちゃいけない、しないようにする。と言っても、われわれだけではなかなかだから、そうするんだという機運をつくるんです。そうしなければ、本当に良い世の中はできないんです。

「『御教え集』二号、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年09月01日