〔 質問者 〕高野山にあれだけのお寺を作ったというのは、政治的にも偉かったのですね。
【 明主様 】偉かったんです。奇蹟なら奇蹟を、お互いに話し合うといい。体験のない人はないからね。役員でなくて、会なら会で信者の人を集めてやっても良い。奇蹟と言えば、数カ月前に鉛の山を買った。非常に鉱石が良い。だんだん調べてみると、そこの山から砥石が出るんです。砥石の採集を長い間やっていたんですね。それで、坑道が四〇カ所ある。たいてい二、三十間はある。それを掘っているとちょいちょい鉛がある。ところが法律では砥石の許可を得ていると、他のものは採集できない。鉛なら鉛の許可を得ていると、他のものは掘れない。しかし、四〇カ所あれば、必ず鉱石のある所があるに違いない。そのうちにだんだん調べてみる。それがいままで分からず、つい四、五日前に分かった。非常な奇蹟ですね。非常に良いものです。だから見つかりさえすればすばらしいです。それには、いろんな施設がいるんです。機械もです。鑿岩機や精練機や電機具類もです。ああいう山というものは、必ず大きなものがある。鉱脈もだいたい見当ついている。いろんな機械がそうとうかかります。いまは進歩しているのでね。分けたりする薬だとか……たいへんなものです。それに対する金も日数もそうとうかかります。
もう仏教は駄目ですね。二、三日前に鎌倉の長谷観音で、こっちを観音教と思っていたのでしょう。長谷観音を引き受けてくれと言うんです。御本尊は高さ三丈三寸かで、大きな観音さんがありますね。それで、こっちはメシヤ教になって観音様には縁が薄くなったから、と言って断った。
〔 質問者 〕そんなに大きく作るのは……観音さんとしては、あんまり大きくしてはいけないのでしょうか。
【 明主様 】いけないんです。阿弥陀さんは、どんなに大きくしても良いが、観音様は上等に小さくするんです。