〔 質問者 〕今日の御論文を拝聴させていただきまして、あれをお聴きして分からん奴はと思いますが。
【 明主様 】そうだな、つまり邪神のほうで一番恐いのは神様のほうだからね。どうしても神様はないという無神論を植えつけるのが一番の目的なんです。そこで、無神論というものを人類に……一生懸命に植えつけるために二〇〇〇年もかかっているんです。つまり物質ですね。病気を治せるというところを見せようと思ったんです。それで一生懸命に……ユダヤは学者が多かったからね……やってきて、いまだにそれに瞞されている。その奥には邪神の親玉がいる。物質で治そう……病気を解決しようと、それいっぽうで進んできたのが医学ですからね。だから屁みたいなことを、発見したと言っている。ついこの間、癌の原因を発見したとか、なんとか出ていたが、原因を発見しなくてもいいんで、治してもらえばいいんです。原因を発見してから治すと言うのですが、治ればいいんです。ところが、原因を発見したと言って喜んでいるが、一つの遊戯にすぎない。驚きますね。あんなことをして無駄な金を使って、ありもしない頭を使って死んでいくんですね。それだけのものですね。
〔 質問者 〕少し分かりかけましたらたいへんでございます。
【 明主様 】たいへんです。肝腎な……力のないもので、一生懸命解決しなければならないというのが、いまの文明ですね。それを教える仕事です。いろいろな法律を作るとか、一家が一生懸命やって……いまもラジオの街頭録音で、現代の世相というのは……世相が悪いと文句を言っている。親子心中だとか、家庭争議だとか、瞞し合うとかね。政府の政治が悪いとか、教育が悪いとか、金がないからとか、いろんなこと言っているが、宗教ということを言った奴は一人もない。一人、トルーマンもマッカーサーもキリスト教信者だと言ったが、もう少し言うかと思ったら、それでおしまいだからね。それだけ、宗教というものは世の中から認められなくなった。なぜかと言うと、力がないからです。できたては力があったが、だんだん無力になった。そこで信用がなくなったから、結局忘れられていった。だからわれわれは、宗教が信用をされるようにするのです。宗教の信用……信じさせるというのは奇蹟なんです。奇蹟がなくて理屈だけだったら、道徳や教育と同じで、奇蹟のある所に、理屈や教えで及ばないものがある。それが奇蹟だから、奇蹟即宗教だ。最初は多少あったが、今日ではなくなったから、宗教の使命がなくなったというわけで、それが長く続いたので、奇蹟がないのが宗教で、あるのは迷信邪教となった。およそあべこべになった。
キリスト教のほうは、二〇〇〇年経ってキリストが再臨すると言うが、このほうが現実的です。仏教のほうは謎みたいに書いてあるが、そうしないと本当はいけない点もあるんです。仏教の中で弘法大師は良いほうです。極楽のほうですからね。少しは地獄のほうに行ったかもしれませんが、早く上がった。親鸞だとか、日蓮だとかは地獄に行っている。