昭和二十六年八月十一日 『御教え集』一号 (2)

御教え 婦人病の中の不感症ですね。あれについて深く書いてある。おそらく医学でもあの説明はつかないから……本当は重大問題ですがね。事が事だけにね。

 婦人病ですがね、あれは全部薬毒ですね。あれがだんだん……始終下におりて行く。それが下に溜まる。原因は簡単なものです。それを知らないから薬で治そうとして薬を服むから、結局いつまでも治らない。それだけ分かっただけでもたいしたものですね。

(御論文「信仰の自由」およびお蔭話朗読)〔「著述篇」補巻二、三四九-三五三頁〕

 こういうことがよくありますがね。こういうことがこれからますますふえるわけですね。途中で心から変更すれば助かるが、せっかく……綱につかまれば良いのを、どうしてもつかまらないで、暗闇になっているのですが。

 それからね。美術館ですがね。あそこにできてる模型を……最初のはどうもおもしろくないので、今度変えたんです。二階屋にしたんです。あれじゃいくらも陳列できないのでね。今度できる美術館は企図も良いし、形も良いのでね。その図面を、いま見せようと思っていたら、大工のほうに行っているので。

 それで、非常に金がかかったりするので、それから建築の日数がかかるので、もう一年のばそうと思うが、神様のほうはそうはいかない。来年の夏までには造る。来年の夏までには必ず完成する。このごろ世の中を見ても、美術というものに非常に関心を持ってきた。

 今度の講和にサンフランシスコで美術の展覧会をすることになっている。これはアメリカのなんとかいう人なんですがね。一七二点ですかね。それだけ行くことになる。荷造りをしてますがね。その前に博物館で展覧させると思ったが、日がないのでいま一生懸命荷造りしてます。荷造り料が一〇〇万円ですからね。飛行機で向こうに持って行くんですね。かなり良いものがあります。国宝的のものを中心に、あと民間のものもそうとう入ると思います。

 ところが私から見ると、まだ当局や世間の人の考え方にちょっとずれがある、というのは、これは何百年前何千年前のものだから……つまり歴史的の意味ですね。それを目的にしている。正倉院の宝物にしても、よくこれだけのものを造った。よく今日まで保存されて来た。という、そういう意味ですね。ところが、審美……美術の鑑賞というところから言うと、古いのが良いというのではなく、古くても新しくても、良くできたものですね……傑作ですね。美的要素が多いということを中心としたい。まだそこまで行ってないですからね。アメリカに行った美術品を理解できるアメリカ人はいくらもないですね。本当に理解できるのは半分もないです。私から言えば三分の一、五分の一でしょう。美術ですからね。美術という頭を持たなければ……こういう点からも、私がつくる美術は、考古学という意味でなく、美術としてやるつもりです。これなら日本人にしてもアメリカ人にしても、世界人が理解できると思います。それが本当の行き方です。

 それから、美術というものに関心を持って、ほうぼうに美術館ができるですね。いま、現代美術ですが日比谷公園にできるとか話ですが、それも少し反対があって芝公園というのもある。すでに予算は三億取っている。二、三年で必ずできます。これはだいたい文部省の買い上げですね……各展覧会での。あと明治以後のものが出るわけです。それから京橋の石橋ビルですね。あそこも二階か四階の両方か、どちらかで、展覧会することになっている。鎌倉にも、もうじきできますしね。各地にそういう計画があります。鶴見にもできるそうです。そんなわけでだんだんミロクの世が近づいて来たので、そういう空気もできてくるわけですね。

「『御教え集』一号、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年08月11日