--私は昭和二五年一二月二日、妻は本年三月三日入信させていただき、現在函館に住居し、青函連絡船の船長として、種々御守護をいただきつつ毎日を送らせていただいている者でございます。
明治以前二〇年くらい前、廃仏騒動と称するものがありまして、当時寺は全部破壊され、坊さんは全部殺害され、当時庄屋でありました私宅に緋の衣を纏える坊さんを連れてきて殺しました。その後大火がありまして、私宅は全焼、祖母一人生き残りました由でございますが、これは祖母幼少のころで確たることは判りませんが、そのころより部落全部神道になりました。
父は船をもって諸方面を歩いているうちに「N・T」(私の実母)と知り合い内縁関係になりました。そのうち本妻「N・Y」は病死し、その後「N・T」は後妻として迎えられました。先妻「N・Y」はこのことを知って、そうとう烈しく怨んで、他界したそうでございます。
「N・T」は三〇過ぎてより、どことなく体が悪くなり日蓮宗を信仰し、日蓮の坊さんの奨めにより山籠もりして行をとるべく準備中に、心臓病にて便所で卒倒し、口もきけなくなり、間もなく死亡、日蓮宗にてお葬式を出しました。
長兄(N・Yの長男)は父の築いた財産を蕩尽し、妻を離縁し芸妓を後妻としましたが、金使いが荒く、親類会議により準禁治産者となり、私は長兄の所に養子となりました。長兄は現在鳥取県N郡S村に住んでおります。
現在私は御屏風観音様をお祀りさせていただき、とりあえず仏式にてお祀りさせていただいておりますが、正しい御先祖祀りの方法を御教え賜りたくお願い申し上げます。
なお、島の部落では、白木の位牌に本名を書き、精進料理を供え線香を上げ、墓には線香に榊という神仏混合の祀り方をしております。
なお、去年御守り様をいただいて帰りましてより九日目に私に憑霊がありまして、旧住所隠岐島G村の地主であると称し、武士のごとく威猛き口調で申しますには、「N家を守護している地主である。N家の恩人である地主を祀らないでほおっておいたからこの男(私)を生かしてはおかない考えであった。地主とは三〇〇年くらい前にその土地にあって、その地方を治めていた武士であり、その土地に執着を持っていて祀られたものである。今後は次の祀り方で祀れ。祀らないと不幸が来ることを肝に銘じておけ。このことは子々孫々に至るまで、決して忘れることのないようよく伝えおけ。祀り方は元の場所に祀るのがよいが、それもできないため、現住所の庭の一角に三尺四方くらいの土地を、地主の土地として、塩を撒き、小石を置き、その上に祠を作って祀れ。その祠の中には「N家の恩人」ということを明記せよ。また、この中に「N家の者は子々孫々に至るまで、この祀りを忘れてはならぬ」旨をも書いておけ。移転のときは持って行け。火災のときは持ち出せ。持ち出せないときは新しく作って祀れ。身分相応に祀れ。N家の先祖には偉い人がいるが、俺が邪魔してやろうと思えばどんなこともできる」と言いました。
右の事柄を受諾しましたら帰りました。現在は右の霊の言った通り祀っておりますが、なにか変な感じがしまして狐霊かなにかのように思われますが、いかがなものでございましょうか。また祀り方は霊の言った通りでよろしゅうございましょうか。御教えのほどお願い申し上げます。
これは人霊が畜生道へ墜ちた狐霊で、人間に再生したいため頼んだのであると思うが、その言う通り祀ったのは結構ですからそのままでよろしい。あなたの家は悪因縁がだいぶあるから、一日も早く光明如来様をお祀りして、できるだけ人助けをすることである。それによって苦しんでいる霊が救われるから、あなたの家もだんだん幸せになる。