最近のことであるが、客は宗教関係の責任の地位にある人である。
客 世間では、観音教団はずいぶん金が儲かると言われるが、これはどういうわけであるか、この点を伺いたい。
私 よくそういう話を聞くのであるが、宗教も金がなくては思うように人を救うことはできない。一殿堂を造るにも今日は莫大な費用を要する。本山の造営、分所支部、出版など、発展するに従って金はいくらでもいる。しかし、私のほうは搾取はぜんぜんやらない。信者の自由意志の献金ですべてを賄ってゆく。ところが本教は御利益がすばらしい。死の宣告を受けた重難病が治る、つまり一つよりない生命をいただいたその感激が献金となるので、お義理やお付き合いでやるより多額であるのは当然である。そんなわけで、集まった金をドシドシ造営費や宣伝費に費消する。しかし、新聞雑誌で言うような、あんなベラ棒な金額はぜんぜんデマであって、ジャーナリストも大きな罪を作っているわけである。
客 ナルホド、判りました。
「『光』四十六号、昭和二十五年一月二十一日、19500121、岡田茂吉全集講話篇第三巻p540」 昭和25年01月21日