昭和二十五年四月二十三日 『御光話録』十八号(2)

〔 質問者 〕「総領の甚六」と申しますが、夫婦が年も若く愛情もこまやかなときの子が甚六で、年を取り愛情も落ちついたころの末子によい子ができますのはいかなるわけでしょうか。

 そうじゃないんですよ。つまり、最初の子が生まれるときは夫婦ともたいていまだ若いから人生の経験も少ないんです。だからどっちかって言えば親のほうが甚六なんですよ(笑声)。そしてだんだん苦労して経験もたくさん積んでからできる末子はいい子になるんです。それに、最初の子はどうしてもかわいがりすぎますからね、それがいけないんですよ。ところが、だんだん子供がたくさんできてくると、かわいがることが薄くなるってわけじゃなくても、たくさんいて届かないようになるんですね。しかし、そういうほうが子供には独立心ができるようになるからいいんですよ。だから先に新聞に書いたように、偉い人ってのは兄弟が多い中からできるんです。兄弟が多いために甘やかされないからですね。要するに独立心ができるんです。自分で自分を助ける、その信念が強く養われるんです。一人っ子にはあまり偉いのがありませんね。だから始終かわいがられる子は偉くなりませんよ。むしろ愛されないほうがいい。

  

〔 質問者 〕そういたしますと、親はたいへん助かりますが。

 ええ、そうなんですよ。いままで言われた親の愛情にも間違いがあるんですよ。例えば、子供が転ぶと日本ではすぐ親が起してやるけど、西洋では自分で起きるように言いますね。これなんかも西洋のほうが本当の愛情ですよ。

  

〔 質問者 〕では子供には厳格に躾をしたほうがよろしいでしょうか。

 ええ、そのほうが本当は愛情が深いんですよ。

  

〔 質問者 〕しかし、親の愛情を知らぬ子供はどうも片意地の所があるように存じますが。

 それはまた極端ですよ。いくら独立心がいいからって、愛情がぜんぜんなくちゃいけませんよ。そんなふうだと、子供によっては親の愛を知らない子供になってしまいますからね。

 結局ね、「猫かわいがり」がいけないんですよ。だから兄弟の多い子供が偉くなるって言うんですよ。愛情にも大乗と小乗とがあるんです。そして、ただ大事にするっていうのは小乗の愛ですよ。子供が苦しんでいても、それを見て見ないふりをする、それが大乗なんです。だから、私だって信者が間違ったことをやってても、ちょっと注意するくらいしかしませんよ。間違ったことだときっとしくじりますからね。そのとき自分の頭をあっちこっちへぶつけて苦しみ、そのあげく、ああ自分のいままでのやり方は間違ってたんだな、と気がつく、それが本当なんです。そういうのを途中で注意したって駄目ですからね。

「『御光話録』十八号、岡田茂吉全集講話篇第三巻」 昭和25年04月23日