昭和二十五年四月二十三日 『御光話録』十八号(18)

〔 質問者 〕霊写真はいかなる作用によって写るものでございましょうか。

 当然な疑問ですね。写真というものは人間の目の五倍の強さを持つ鋭いものなんですよ。ま、見る感覚が強いんですね。見る感覚と言っては変ですがね。なんて言うか、写る強さって言うか、写る濃さが強いんですね。霊写真は霊が写るんですよ。私はいままでたくさん霊写真を見ましたが、その中にはずいぶんはっきりしたのもありましたがね。私のなんかもはっきりしてるほうでしょうね。霊写真には人の霊が写ることが多いんですが、中には作り物もありますよ。日本にはあまりないようですが、西洋の物でキリストが写ってるというのを見たことがありますが、これはにせ物で、煙のようになってるのは綿を使ってそうやってたんです。で、人霊も顔だけが写ったり、肩に乗ってたり、人間より上のほうに現われてるのもありますね。やはり、写真機の感度のいいほうが霊を把握できるようですね。霊界にはたくさんの霊がおりますからね、まったく百鬼夜行の有様ですよ。先に非常によく霊の見える人がいましたがね、気持ちが悪くてしようがないそうですよ。そこいらに亡霊や動物霊や魔物やなんかがウヨウヨしていてね。そんなの見えないようにならないものかって、私が大本の信者だった時分に出口先生の所にお願いに来た人がありましたがね。また、某宗の行者で汽車に乗ると必ず轢死者の霊が見えて困るって人もありました。ま、こんなふうに霊が見えすぎて困る人があるかと思うと見たくて困る人もあるもんでね。(笑声)

「『御光話録』十八号、岡田茂吉全集講話篇第三巻」 昭和25年04月23日