昭和二十四年四月二十日 講話(2) 地天03 「妙智之光」

 〔 質問者 〕神は浄化を下し給うてお救いくださる反面、苦痛をも与え給うのは罪業の許しの意味でしょうか、また浄化と関連して死が与えられるということはいかに考えるべきでありますか。

【 明主様 】罪業の払拭は苦痛によって行なわれるものと神にすがることによって楽にすむ場合とある。前者は無信仰者の場合であり、後者は信仰者の場合である。

 神からの救いの綱が下がってもそれをつかむことのできない人は罪穢が多すぎ霊体が重くてつかむことができないのである。しかるにその後浄化のため病気災難などの苦痛が起り、それによって罪が減るから霊が軽くなり、救いの綱へ手が届くことになる。そのようなわけでいくら良い教えを説いても救いの綱につかまり得ない人は、その罪の減るまで時期を待つほかはない。そのとき無理につかませても落ちてしまう。しかし右の場合、浄霊を受ければ楽に早く浄化される。

 浄霊によっても死ぬのは多くの場合心から神にすがらぬからで、その人の信仰のどこかに不純な点があることが多い。いっさいを擲<なげう>って神にすがる人は不治とみらるる病もたいていは助かるものである。信仰の浅い人は危機の場合迷いが生じやすいのでそのとたんに神の救いの綱が切れるのである。

「『地上天国』三号,岡田茂吉全集講話篇第三巻p17~p18」 昭和24年04月20日