〔 質問者 〕火素の増量により治り方がたいへん顕著になりましたが、また一面毒素を多く保有している人が溶解を始めた場合死亡することも多いと存じますがいかがでしょうか。この場合相手がお道を理解してるときはよろしいですが、理解していないときは手をつけないほうがよろしいかと存じますがいかがでしょうか。
これはいけませんね、こういう考え方は。第一、理解してる人は救う必要がありませんよ。理解できない人ほど救う必要があるんですよ。それが救いなんです。そうでしょ。だから、理解してない人ほどしてあげなけりゃいけませんよ。
それからね、やった結果がどうなるかってことを心配するのはごく悪いんですよ。人間のほうで結果をどうこうって決めるのは神様以上ですよ。こういうことはよくあるんですがね。結果が悪いとお道のためにならないって考えて心配する人がありますが、これは大間違いですよ。ただ、気の毒だ救ってあげたい……という気持ち、それが慈悲であり、惻隠の情なんです。やむにやまれず救うっていうのが本当で、またそのほうが御利益もあるんです。人間のほうでなんだかんだって考えると御利益もないんですよ。
剣道の試合なんかでも、負けたらたいへんだなんて思ってると負けてしまうんで、もうこうなったらどうにもしようがないって気持ちを持ち、それ一途になるとかえって勝つんですよ。
勿論、ほかのことなら結果を打算したって結構ですよ。けど、こういうことは打算しちゃいけませんね。こんな具合に物事によっていろいろと考え方が違ってくるんです。だから時と場合によって千変万化しなくちゃいけない、それが融通無礙なんです。
「『御光話録』十九号、岡田茂吉全集講話篇第三巻」 昭和25年04月13日