昭和二十五年一月二十日 講話(47) 光録17

〔 質問者 〕無肥料三年目の田で本年九俵とれましたが、穂が重すぎて七、八分通り倒れてしまいました。これは堆肥が多すぎたためでしょうか。

 ほう。どんな具合ですか、これは水田ですか。
  

〔 質問者 〕はい、水田でございます。

 堆肥はなにをやったんですか。
  

〔 質問者 〕藁をやりました。

 藁ね、ほかには。
  

〔 質問者 〕ほかにはなにも使いませんでした。

 よく堆肥だけだって言いながら汚穢なんか入れてる人がありますがね。けど、これは九俵ならとれたほうですね。
  

〔 質問者 〕ほかの所はだいたい七俵で、田ブドーを使った所は六俵でございます。

 田ブドー。
  

〔 質問者 〕レンゲのことでございます。

 ああ、レンゲですか、レンゲなんかいりませんよ。あれは肥料じゃなくて美しい花を見せるために神様がお作りになったんですからね。これはなにか他に原因がありますよ。
  

〔 質問者 〕少しも堆肥をやらなくてもできることもございましょうか。

 ありますよ。そういう所は土が軟らかいんですね。藁を入れるのは土を温めて軟らかくする役目ですからね、寒い所は必要だが暖かい地方ならいらないくらいですよ。
  

〔 質問者 〕茨城の方で先祖から代々草一本入れないで四畝から四俵とる所があります。

 ほう、多いですね。
  

〔 質問者 〕農家ではよく自然供給量ということを申しますが……

 自然供給量ってなんですか。
  

〔 質問者 〕例えば、一段の田から五俵までは自然のままでもとれる。しかしそれ以上たくさんとろうと思えば肥料をやらなけりゃいけないと申します。

 そりゃ、アベコベだ。(笑声) 少しとるんなら肥料をやったらいいし、たくさんとるんだったら肥料をやっちゃ駄目ですよ。(笑声) つまり、それは迷信ですね。だから私がいまやってるのは迷信打破なんですよ。ところが、そっちのほうでこっちを迷信だって言うんですから、まったく、よくも間違ったもんですね。(笑声)
  

〔 質問者 〕落綿加工をいたします際多量の綿屑が出ますが、これを堆肥として耕作することはよろしいでしょうか。

 あまりよくないですね。こっちで使う堆肥ってのは「自然」なんですから。綿の屑が自然に散るはずはないんですからね。どうしたって木の葉や草の葉がいいんですよ。

「『御光話録』十六号、岡田茂吉全集講話篇第二巻」 昭和25年01月20日