昭和二十五年一月二十日 講話(15) 光録16

〔 質問者 〕同情、憐憫など愛の活動をしている場合でも、他面憎しみの活動の起るときもありますが、これはいかがなものでしょうか。

 これはしかたがありませんね。人間は人を愛するって気持ちも、また憎む気持ちも起るもんですからね。しかし、その憎む気持ちが行為、活動にまでなってしまっちゃいけないんです。そういうのは自制が足りないからですね。
  

〔 質問者 〕愛の心でなにかをいたしておりましても、「うるさいな」と思う心が起きてきますが……

 そりゃあ、うるさいからうるさいと思うんですよ。(笑声) しかし、先方が自分より偉い人の場合にはそうはいかないでしょ。(笑声) 例えば、隣りの部屋でラジオがうるさいときには、やはりうるさいと思いますからね。それが家族かなにかなら「おい、ラジオをとめろ」と言ったっていいですよ。それくらいなら憎しみまで行ってないですからね……

 人間はね、日常生活をあんまり窮屈に考えすぎちゃいけないんですよ。広い心ですべてを許し合うっていうのがいいんですね。

「『御光話録』十六号、岡田茂吉全集講話篇第二巻」 昭和25年01月20日