昭和二十五年一月二十日 講話(14) 光録16

〔 質問者 〕行為は人格の表われであると考えられる場合と、その反対と考えられる場合とありますが、どちらが本当でしょうか。

 そりゃあ、人格の表われってのが本当ですよ。「その反対」ってのは本当じゃありませんね。けれどもときによっては人格と逆のこともせねばならない場合もありますがね。例えば人格が高ければヤミはやらないと言ってても、そのために体が弱って死んでしまった裁判官もありましたね。だからそういうことは時と場合に応じて臨機応変にすればいいんですよ。

 しかし、結局は何事も人格の表われですよ。人格の低い人じゃ立派なことはできませんよ。勿論、時には世渡りのために便宜的な行為も必要だけど、人格の高い人はそれが自然どこかに表われてきて人から愛されるんですね。また、世の中には自分の人格が高いように見せる人がありますが、こんなのはね、偉いと思われたってたいしたことはないんですよ。

 それからもう一つ大事なことは大乗と小乗の点ですね。小乗だけでは本当じゃない、どうしても大乗でなくてはね。例えば戦争中よく言われた天皇のためとか国家のためとかいうのは小乗ですよ。やはり本当の人格は大乗的、世界主義的でなけりゃ嘘です。全人類の幸福を願うといったものが本当なんですね。いまの吉田首相なんかも戦争中はブチ込まれてたんですが、いまは光ってますね。殖田国務相だってそうで、いまは法務総裁ですね。ところが戦時中はこういう人たちは国家の逆賊のように言われてたんですからねえ。……だから、どうしても大乗で行くやり方が本当ですよ。

「『御光話録』十六号、岡田茂吉全集講話篇第二巻」 昭和25年01月20日