昭和二十五年一月二十日 『地上天国』十二号(1)

〔 質問者 〕観音について。

【 明主様 】 観音とは梵語でアバロキティシュバラ(Avalokites´vara)という。それを支那の鳩摩羅什という学者が観世音と訳し、縮めて観音と言ったのである。また観世音の三字を解釈するとおもしろい。観は客観とか観察するという意、古い時代、龍宮の音姫様に押し込められたそのときから、音姫の支配する世を観てるというのが本当の意味で、菩薩の本体である伊都能売の神は素盞嗚尊のために危い目に遭われたので、インドへ逃避されたその後は、素盞嗚尊が日本を統治された。素盞嗚尊は、天照大神の弟神であるから、その妻神は弟の姫と言うので弟姫と言ったそれをつめて乙姫と言い、また音米姫とも言った。乙姫様は物質欲の強い神様で、物欲の執着のため龍神となられ、海底に長い間潜まれていた。インドの古代に大自在天が天下を支配したのも乙姫の援助による。その時代、観世音の別名観自在の名がそれである。乙姫は朝鮮のある海岸に龍宮城を作った。それで龍宮の乙姫と言ったのである。龍宮城は女の家来ばかりであった。それは素盞嗚尊が日本へ来て稚姫君と言う、第二の妻をもたれたからで、そのお留守中、乙姫は空閨に堪えかねて、日本の青年漁師で、朝鮮へ漂着した浦島太郎が美男だったので、まず、いまで言う若い燕としたのであろう。この時代の男女関係は割合い乱れていたようである。

「『地上天国』十二号、岡田茂吉全集講話篇第三巻」 昭和25年01月20日