昭和二十四年十二月二十日 講話(6) 光録15

〔 質問者 〕観音様の御本体は国常立尊と伺っておりますが、その御関係について御教示をお願いいたします。

 国常立尊という神様は厳正至直で、いかなる間違いも許さず、ずっと昔人間としてお生まれになり、死んでから閻魔大王になられたんです。しかし、閻魔大王は裁きを司り、なかなか厳しくて、霊になったものの汚れを取って救ってくださるんです。そうやって地獄を救われるんですね。

 それが仏界に現われたのが観音様で、観音様は善悪無差別にお救いになり、決して罪を尤めることはなさらないんです。だから観音様の信者は決して人の罪を尤めちゃいけない、そういうことをすると観音様の御意志と違ってきてしまうんです。罪を尤めず、善悪無差別に救うのが大慈大悲なんですからね……

 国常立尊は裁きをなさるけど、人間がよくなれば裁かないんです。国常立尊は仕事がなくなってしまう。まあ、なんですね、検事総長を辞職するようなもんですね。罪人があるから警察なんかがあるんですからね。ちょうど、病人がなくなれば医者はいらなくなってしまうのと同じです。だから私はよく言うんですよ、医学の発達なんてことはないってね。本当の理想は世の中から病人をなくしてしまうことであり、従って医学がなくなってしまうことなんです。しかし、現在それがまったく反対なのは医学がその天職を尽くしてないためか、あるいは医学の行き方が間違ってるからです。ゆえに、医学はよろしく辞職したらいいんですよ。(笑声) ところがなかなかこの点に気がつかないんですね。もっとも気がついてても生活問題などもあるから急に辞職もできないでしょうがね。

「『御光話録』十五号、岡田茂吉全集講話篇第二巻p~」 昭和24年12月20日