昭和二十四年十二月二十日 御講話(2)  地天11 「妙智之光」

〔 質問者 〕首におかけしていました御守り様がときどきなくなったということを聞きますが、いかなるわけでしょうか。

 これは不注意である。そういうことはないとは言えぬが、御守りがなくなるとか汚すなどは心の置き所が徹底しないからである。尊いという信念が薄いという意味もある。良く反省してお詫びして心を入れ替えるようすべきである。御守りは火素の塊りのようなもので、消えない火であるから水に浸しても濡れないのは不思議である。

「『地上天国』十一号、岡田茂吉全集講話篇第三巻」 昭和24年12月20日