昭和二十四年十二月二十日 御講話(18)  地天11 「妙智之光」

〔 質問者 〕霊は個性を持って輪廻転生すると聞いていますが、現世の人々の大部分に自分の霊の歴史がまったく分からないのはいかなるわけでしょうか。

【 明主様 】 判らぬほうがよい。判ってはいけない。判ると障りになる。例えば人間が自分の寿命が判るとすれば働く気がなくなる。いつまでも生きるつもりだから活動ができるのである。また前生で自分の家来だったものに現世においてはその下に使われてるような場合、馬鹿馬鹿しくなる。故にその人の前生は判らぬよう神様が造られたのである。しかしぜんぜん判らぬこともない。特殊の使命をもった人にして判るのである。前生におけることがなにかの形で現われるものである。私は応神天皇、光明皇后、聖徳太子、画家の光琳、源義経などに生まれたのである。おもしろいことは右の因縁で最初麹町へ治療所を出したときは応神堂と名づけたし、以前小間物屋を始めたときは光琳堂と名づけた。右いずれもそのときはなんにも知らなかったが自然そういう名が浮かんだのである。

「『地上天国』十一号、岡田茂吉全集講話篇第三巻p」 昭和24年12月20日