昭和二十四年十二月二十日 講話(15) 光録15

〔 質問者 〕貧困な人達を見ても一様に同情せず、その美しい心の持ち主に対してはきっと将来救われると思い、その醜い心の持ち主に対しては当然そうなるべき因縁を持つのだ……というふうに考えますことは無慈悲な心でしょうか。

 これはね、どっちって決められないんですよ。例えば浄霊にしても、その人が丸ッきり金がないんなら施療にしてやってあげてもいいが、いくぶんでも出せれば出すべきです。人間的な考えも大切だが、それはよほど違うこともあるんです。教導師が人を浄霊してあげた場合、生活に費用がかかるんだから、御礼をもらうのはあたりまえです。そして余裕があれば神様にお上げするのが本当ですよ。だから、御礼は身分に応じてするのがいいんです。だから施療なんかしてる間は嘘ですよ。ふつうの人は施療なんかできないんですから。

 以前、ただで治療しろって言う人がいましたが、勿論、観音様は御礼なんかいらないが、取り次ぎする人は家に住んでいるんだし、まさかカスミを食って生きるわけには行かないですからね。……金持ちはうんと御礼を出したらいいんです。生命を救われたら財産の半分くらい出したらいいんですよ。だから、私は以前よく言ったんです。御礼はまだもらってない、手数料ならもらったけどってね。(笑声) 実際、生命を救われるってことはたいへんですからね。だからね、心よく出せる御礼は出すのが本当であり、また受け取るのが本当なんですよ。

 以前、ある熱心な婦人で人を大勢やってたんですが、その御札が一円のところを二、三円多いからって返しに行ったんだそうです。これはその婦人の御主人から聞いたんですがね。しかし、これなんかとんでもない間違いですよ。神様を侮辱することはなはだしい。一生懸命やってながらまったく見当が外れてるんです。で、その婦人は震災で死んでしまいましたがね。

「『御光話録』十五号、岡田茂吉全集講話篇第二巻」 昭和24年12月20日