昭和二十四年十二月二十日 講話(10) 光録15

〔 質問者 〕不幸や災難を受けるということは神様がその人やその家の罪をお許しになるためでしょうか。あるいは試練を与え給うものでしょうか。

 罪を許すんではなくて罪を尤めるんですよ。だから、アベコベですね、これは。神様のほうだって罪を許すわけには行かないんですよ。しかしね、人間はだいたい自分で罪を作って苦しんでるんですよ。だから、馬鹿なもんですね、人間ってものは。(笑声) 不幸ってのは人間が自分で作って苦しんでいるんですよ。そりゃあ、先祖の罪ってこともありますがね。しかし、先祖と言ったって結局は自分だから、やはり自分の罪ですよ。なぜって、先祖は自分かあるいは自分の父母とか兄弟と言った肉親ですからね。……試練を与えるのは神様がその人をお使いになるとき、汚れを取り除くために浄めてくださる、それが苦しみなんで、それを人間のほうで、「ああ、あれは神の試練だったのだ」
というふうにいい解釈をするんです。まあ、これはいい考え方ですが、そういうふうに言えますね。

「『御光話録』十五号、岡田茂吉全集講話篇第二巻」 昭和24年12月20日