昭和二十四年十月二十五日 御講話(7)  地天09 「妙智之光」

〔 質問者 〕生後六カ月の幼児、御浄霊により高熱が続き発汗はなはだしく、全身粟粒大の発疹をし疥癬のようになり、元気もよく食欲もあり、便通、発汗、順調になりましたけれども、夜になると四〇度以上の熱が出ては汗を非常にかいております。母親はぜひ入信させていただき、みずから浄霊の希望でありますが家の都合でまだ入信しておりません。私が総本部へ伺うのでこの病人の浄霊ができなくなりましたので、母親も非常に心配しております。入信者でない家族の御浄霊は、特にこのような場合は御浄霊を断ったほうがよろしいでしょうか。

 断らなくてもよい。やってやるべきだ。汗かいたりなど非常によい。症状からみて順調な浄化である。本当は病気が治ってから入信するのが本当で、病気が治ってありがたく、やむにやまれぬ気持ちで入信するのが本当である。例えばもし治らないうちに入信して死ぬ場合がある。入信してから死ぬなんてあんな信仰は駄目だということになる。すると怨まれる。特に肺病などはよけいにそうで、入信するとよけいに浄化が強くなる。肺病は医者にさんざんかかって、もういけなくなってから本教へ来るので、薬毒がうんと溜まってる。それの浄化が起り、浄霊するとかえって死ぬ場合があるから、特に肺病は治ってから入信するようにしなくてはいけない。ただ生命に関係のない病気は病気の治らぬうちに入信してもよいが、生命にかかわるのは治ってから入信すべきである。これなど順調だからきっと治る。そうすれば家の人も判る。また入信してすぐに光明如来様を祀らせたりせず、だんだん本人が判って信仰が進み、拝みたくなり、ぜひというときになってから祀るべきである。すべて物事は漸次進んでゆくことがよくそれが順序である。突然に変わるのは本当でない。例えば新しく教導所を開く場合、最初はできるだけ小さくする。人間が赤ん坊から育ち一人前になるごとく、また草木の種子がだんだん二葉から大きく育つ。それなら根が張り枯れたりなどしない。これが大自然の実相だ。私などこの仕事は六畳一間から始めた。信仰も最初は種蒔きであるから話すだけにしておく。それが育つに従い先方が耳を傾ける程度になったら雑誌新聞を見せる。そのうちに教修を受けたくなり教修を受けさす。そのうち病気が治ったりなどして光明如来様[を]お祭りする。このようなやり方で入ったのは信仰に動揺がない。急いで入信したのはいわゆる根が固まっていないから動きやすい。これはいかなることでもそうである。おもしろいもので最近新興宗教というと本教が一番目指されるが、決して一番になろうと思ったわけではない。これも最初は目立たぬようできるだけ大きく見せないようにした。この点世間とアベコベでその結果一番拡がったようだ。

「『地上天国』九号、岡田茂吉全集講話篇第三巻」 昭和24年10月25日