昭和二十四年八月二十七日 光24 ある政客との対談

政治家にも信仰心を

 私はつい最近、某政治家と某所でかねての約により対談会をし、数時間に及んだ。某人は大臣を二度までした人でなかなかの有力者だ。

 客 いまの日本でなすべき最も重要なることはなんであるか。

 私 なによりもまず国民に政治教育を叩き込むことで政治に興味を持たせる。というのは今日の日本の民衆は、だれが大臣になろうと何党が内閣を作ろうと、あまり関心を持たない。自分らの生活が楽であればそれでいい、というのが彼らの偽らざる心情であろう。つまり一般的教養が低い、もっとこのレベルを上げるべきだ。国民一人一人が、自分自身政治家のような気持ちにまでならなければいけないと思う。

 客 なるほどお説の通りに違いないが、では政治のほうは。

 内閣に「時」を与えよ

 私 日本の内閣は実に短命だ、これでは良い政治はできるはずがない。いかほど立派な政治家でも半年や一年で、立派な経綸を行なうことは無理だ。まず相当期間、黙って政策をやらせることだ。その結果良くなければ、初めて更迭の運動を起せばいい。いわば、内閣に対しもっと寛容であるべきだ。ところが日本は、新しい内閣ができるや、たちまちブチ壊しにかかる。政策もなにもあったものじゃない。ただ内閣をブチ倒す以外になにものもない。どうしても頻繁に内閣が代わる国は発展がない。フランス、イタリアしかりだ。米国のように四年もの任期があれば落ち着いてじっくり仕事ができる。英国にしても一度信任した内閣は、少々おもしろくないことがあっても、むやみに咎め立てはしない、落ち着いてじっと見ている。いまの労働党内閣を見ても判る。そればかりではない、日本は一々内閣が変わるたびに、地方官の末までも更迭する。これでは落ち着いて仕事ができない。始終、腰が浮いている。せっかく慣れてこれから本当の仕事をしようとするときはもう代わっている。私はまず、このことの大改革が根本だ。

 傍らにいた某新聞社長 僕が思うのは、まず議員の任期を三年くらいにして解散なしとするのがいいな。
 新人の登場を望む

 客 吉田内閣は勤労階級に冷淡と思う。首相は大磯にばかり引っ込んでいるが、もっと中央へ頻繁に出たほうがいいと思う。

 私 そういう点はたしかにある。なんとなく貴族的だ。それは旧政治家の型がまだ残っているのではないか。どうしてもこれからは、新人が出なくてはいけないと思う。

 客 自分も同感だ。旧人はほとんどパージにかかっているし、そうでないのは旧式でもある。これからは四〇歳前後くらいの新人が出るべきだ。

 私 あなたなんかは、新人の出る舞台を作る役ですね。

 客 自分もそう思う。まず年寄りが地ならしをしてやるんだね。

 私 勿論、新人で、しかも、腹が大きくなくてはいけない。これからは国家的民族的では駄目だ。世界的でなくてはいけないと思う。つまり、アメリカで唱える世界国家が目標だ。

 傍らにいた記者 社長の意見と同じですね。社長も以前から世界主義的で、この点先生と一致している。
 理想は一致する

 客 ヤァー、ワシも同じだよ。お互い意見が一致したとすれば、これからときどき会合して世界国家建設に努力したいと思う。

 私 それが、われわれが常に言う、病貧争絶無の地上天国ですよ。つまり根本は病をなくすことだが、現代医学はたいへんな間違いをやっている。まずこれの啓蒙だ。私はいま「全世界医学者に訴う」という論文を書いて、全世界の大学や学界に問うべく執筆中である。勿論英独仏の三国語で、目的は、全世界医学の革命にある。

 客 自分では、未だ先生の医学は知らないが追々研究してみよう。

 共産党は焦っている

 この対談中共産党の話が出たが

 私 私は今後の政党は、左翼とか右翼とか言うように局限されたのはもう駄目だ。争いのために肝腎ないい政治ができない。私はこう思う。保守も共産も社会主義も何々主義でも全部包含した、世界的輪郭の新しい政党ができなければならない。それが一体となって国民を指導する。だから私の宗教はどんな主義でも溶け込むようにしている。共産党も、最近焦りが出てきたから山は見えている。あらゆるものは焦りが出てはもう駄目だ。落ち着かなくてはいけない。果報は寝て待てだ。焦れば無理が出る。それで失敗する。芦田などがいい見本だ。

 公明な政治献金を

 客 われわれの連中はみんな金儲けが下手でいつも困っている。

 私 それは結構だ。金儲けのうまい人が小菅行きとなったのだ。私は思うが、政治献金も、公明正大にやったら差し支えないと思う。ところがそれにはいささかも利権などの交換条件がないことだ。しかし日本にはそういう金持ちはまず絶無だ。いままでは利権が目的だから秘密にする、犯罪を生むというわけだが、といって政治家はある程度の金は必要だから、国民中金のある人はこの政党ならたしかに良い政治をやるという意味で、公然と献金するという人が出るような社会をまず造るんですね。米国などはそういうわけで、良い政治家が出るのだ。も一つ肝腎なことは、政治家に宗教心がなければこれからは駄目だ。マッカーサーにしろトルーマンにしろ、熱心なクリスチャンということだ。私もそれを目的としている。宗教心ある立派な政治家を作りたいのが理想である。

 客、社長、記者、声を揃えて「今晩はこういう集まりをして非常に良かった。またときどき意見を交換しましょう」と言って解散した。

「『光』二十四号、岡田茂吉全集講話篇第三巻p307」 昭和24年08月27日