(ある人、信者の神懸りについて御報告申し上げたところ、次のごときお言葉をいただく)
ここで神懸りについて注意しときますがね。神懸りなんてものには決して高級な霊は出てこられない、神様なんかほとんど絶対に出られないんです。神懸りっていうのはそういうもんですよ。中には正統なものもあるにはありますが、永く、くどくやるのはきっと狐やなんかですからね。本当の神様だったら簡単なもんですよ。そりゃあ、実に簡単なものなんです。本当の神懸りってのは私が一年に一遍か二度なりますがね、……ちょっと、どうにも判らないことをお伺いするんですが……決して永いもんじゃないんですよ。神懸りっていうのはそういうものなんです。ふつうの人はこれが判らないんでたぶらかされてしまうんです。立派な人がこれでやられますからね。この間も、古い教導師でそうとうやられた人があったので、私がガンと一遍言ってやったら、それで目が覚めて改心しましたがね。
しかし、浄霊するとたまに出てきますから出てくればとり合わぬわけにはゆかないんで、やはりそこに審判としての心得もいるわけです。とにかく、くどいのは駄目ですよ。人間でもくどいのは駄目ですよ。よくぺラペラしゃべりまくるのがありますがね、あんなのは狐ですよ。だから議論しても向こうがペラペラやりだしたらもういけない。もう、狐の相手になるようなもんですからね、相手になっちゃいけません。「いずれまた」って言って、敬遠すればいいんです。
偉い神様ほど簡単なんです。霊界で一番高級な霊はただ想念だけでお互いに通じて意志交換をするんです。それから一段下がると少し言葉を使うんですね。それから次は人間が人間ふつうの言葉を使うんです。そして動物霊になるとペラペラやるんです。だから、くどくて長くやるのほど動物霊ですね。これは心得といていいことです。これを知ってりゃ間違いはありませんよ。