昭和二十四年七月三十日 講話(4) 光録09

〔 質問者 〕私はこの御教えを知りましてより、いろいろとたいへんな御利益をいただいておりまして早く専心お道に励みたいと思いあれやこれや考えていまの仕事(仕立屋)も手につかずまた生活問題などもあって悩んでおりますが、いかがいたすべきでしょうか。

 これはやっぱり時期が来なくちゃ駄目ですよ。専門的に信仰の道に入るのも時期があるんですよ。その時期がどうして判るかっていうと、時期が来るとだんだん事情が熟して、なにもかも揃って無理がなくなるんです。無理を通してやったり、反対を押しのけてやったりするのはいけません。その結果はよくないですよ。だから、ゆっくりと時期を待つことです。そうすればちゃんといい時期が来ますよ。あらゆることにおいてそうですよ。

 私の教えなんかも、非常に早く発展するように世間の人は思いますがね、私自身はちっとも早く発展させようなんて焦りはしないんです。神道で言う「惟神」ですよ。自然と、事情が熟してそうなって来てしまうんです。この『光』新聞だってそうですよ。〇〇新聞というのが一つこちらの記事も載せませんかって来たもんだから、載せようかなと思っていたところへ、今度は、経営難で続かないから一つ設備を買い取って専門的にやりませんかって言って来たので、またたくうちにこうなってしまったんですよ。私としても、新聞をやりたい、やらなくちゃいかん、て希望は前から持ってましたしね。私の論文や記事や、それから「お蔭話」も溜まって、『地上天国』だけでは載せきれないで、なにか他のもので発表したいと思っていたところでね、こんなふうにあらゆる事情が熟しきってるわけで、ただちに発刊ということになったんです。

 そういうもんでね、邪魔がなくすらすらと行くようになるまで待たなくちゃいけません。柿だって青いうちにもいだんでは固くて渋くて、高い所にあるのなんてもぎ取るのに骨が折れますがね、赤くなって熟して来れば、甘くもなるしちゃんと落ちて来るんです。なにごともそうでね、よく「苦心惨憺してやれ」って言いますが、苦心惨憺は駄目だって私は言うんです。あとで駄目なんですよ、それは無理があるからなんです。なんでもね、楽しんで楽にやれるようにならなくちゃ本当じゃないんですよ。いままでは「夜の世界」だったために物事に骨が折れたんで、苦心しなくては成功できないって面もあったんです。ところが、これから「昼の世界」になり、地上天国に自分が住する以上、自分が楽におもしろくやれるようになるのが本当なんで、自分が天国的生活に入りながら人を救うっていうんじゃなければ嘘ですよ。

「『御光話録』九号、岡田茂吉全集講話篇第二巻p」 昭和24年07月30日