〔 質問者 〕経済的に不遇な方が、さらに病気などの御浄化をいただいております場合、その人が一日も早く健康にさせていただけますように……との気持ちから、その人には話さずに (従って御玉串もお上げすることなしに)教導師が神様に御守護をお願いいたすことはよろしいでしょうか。
これはね、なかなか厄介なんですよ。できるだけ御礼をやすくしてやるとか、場合によっては貧乏人にはただでしてやるといったふうに社会事業的にするのは一応もっともなことですがね、しかし、これはたいへんな間違いなんですよ。いままでのたいした御利益のない宗教ならいいが、このすばらしい神様には感謝するのがあたりまえですよ。以前、私がやっていた時分、ある細君でとても熱心でしたが、ある人がやってもらった御礼を置いてったら多すぎるからって返した人がありましたがね、これはたいへんな間違いですよ。いくら一生懸命でも根本が違ってますからね。その細君は震災のとき水に溺れて死んでしまいましたがね。……ですからちょっとここの考え方が難しいんですよ。
不思議なことにはね、私がしていたとき御礼を高くするほど人が大勢やって来たもんですよ。……まったく、これで救われた感謝は金には替えられませんからね。先にもね、どれくらい御礼したらいいかっていう人があるんで、ありがたいと思う気持ちだけでいい、本当に御礼するとしたらたいへんだから、(笑声) その時分で、まあ、一〇万円くらいはしなけりゃならない、(笑声) だからあんたのできるだけでいいって言ったんです。……実際、価値には替えられませんからね。いままでのは、まあ一銭上げて家内安穏、商売繁昌、無病息災、なんて願ったもんでしたがね。(笑声) だから、そういった意味でただでやってやるのはいけません。その人が罪をきてしまうんです。神様から御利益をいただいてるのに御礼をしないってのは罪ですからね。 だから治ってから御礼するのは嘘で、治る前に御礼 ……お願いをするのが本当ですよ。なぜなら、治ってから御礼をするんでは神様を雇ってることになる。ちょうど人を雇って、これだけ働いたからこれだけ御礼するっていうのと同じですからね。これじゃ人間のほうが上になって神様は下になってしまうんです。だから、そのやってもらう前に誠を捧げて神様にお願いすべきなんです。
まあ、こんなことはいまの人にはちょっと納得できないかもしれませんがね。いままでのは御礼を上げても死んでしまったことが多いんですが、しかしこれは神様が悪いんじゃなくて、取り次ぎをする人が悪いんです。悪意でやったんじゃなくても結果的に悪くなってしまうんですがね。まあ、根本はこうなんですから、この根本を知ってあとは臨機応変にやったらいいんです。
(『御光話録』五号〔第二巻七九頁〕参照)