昭和二十四年七月十三日 講話(10) 光録13

〔 質問者 〕先生がそういうふうになられた動機は。

 ちょっと簡単には言えませんね。
  

〔 質問者 〕いつごろから始められたのでしょうか。

 昭和九年の一〇月からです。それが、あのころ新宗教弾圧時代がありましたね、大本教なんかがやられた、……あれの巻き添えをくって弾圧されたんですよ、病気治しをやってたんで。
  

〔 質問者 〕はあ、病気治しを。

 で、そのときは宗教と治療と両方をやってたんですが、それを別々にしてどっちかをやれって言われたんで、そこで宗教は面倒なので病気治しだけやってたんです。
  

〔 質問者 〕では、終戦後は宗教と病気治しと両方やっておられるんですか。

 いや、宗教いっぽうだけになったんです。違うんです。
  

〔 質問者 〕ああそうですか。……で、信者の数は。

 十七、八万くらいでしょう。
  

〔 質問者 〕それは全国的でしょうか。

 ええ、全国的です。
  

〔 質問者 〕九州なんかも。

 ええ、勿論です。
  

〔 質問者 〕で、地方のそれが分会や支部になってるんでしょうか。

 ええ、そうです。
  

〔 質問者 〕このような会は月何回くらいあるのですか。

 月に六回休みます。
  

〔 質問者 〕だいたい、分会の方が代わる代わる集まってみえるんでしょうか。

 ええ、教師、教導師という人が大部分です。
  

〔 質問者 〕そういう方はどれくらいでしょうか。

 約三〇〇〇人でしょう。

「『御光話録』十三号、岡田茂吉全集講話篇第二巻」 昭和24年07月13日