昭和二十四年六月二十三日 講話(2) 光録12

〔 質問者 〕将来起るべき世界大戦、およびそれに伴う内乱の危惧は個人の意志にかかわりなく、社会状勢も左右いずれかに決定されることと存じますし、世界的大浄化の時ただ要領のみで安易な道を行くことは許されないと存じますが、このように左右いずれかに属せねばならぬ場合いかなる態度をとるべきでしょうか。

 内乱の危険なんか決していりませんよ。

 また、左右いずれかに決定もしませんよ。「寸鉄」にあったでしょ、世の中はブランコのようなもんだって。だから左へ行ったかと思うと今度は右へ行くんです。で、それが判れば一人前だって言うんですよ。だから、早く一人前にならなくちゃ。……(笑声)

 自動車を運転するんだってそうですよ。ハンドルをちょっと右か左のどっちかへやりすぎれば衝突してしまう。それを右へまわしたり、左へまわしたりして一生懸命にやるから自動車はまっすぐに行くんです。文化が進んで行くのもそれと同じですよ。ところが、われわれのように右や左に傾きながら進むのを見てるのは、さらにその上を行くんです。右や左のことを一生懸命やってるのは、だからわれわれより下の仕事なんですよ。

 それから、「安易な道」は許されるんですよ。その人に霊的の罪や曇りが少なければ安易に行くはずのものなんで
す。罪や曇りが多ければ大浄化の渦中に巻き込まれて苦しむんですよ。……結局、原因は自分にあるんだから、自分さえ罪がなければちっとも苦しむことはないんですよ。
 ですから、こんなことには触れる必要はないんですよ。ちょうど、酔っ払いが喧嘩してるようなもんだから、(笑声) おもしろいですよ、傍観してるほうが。……つまり、彼らは破壊、こわしやだから、そしてわれわれのほうは建設なんです。そしていまは破壊の時期なんです。だからわれわれのほうはいまは専ら建設の準備をしてればいいんですよ。破壊のほうはこわしやに任せたらいい。まあ、ヒトラーなんかはこわしやの親方だったんですね。(笑声)

「『御光話録』十二号、岡田茂吉全集講話篇第二巻p~」 昭和24年06月23日