〔 質問者 〕道徳はある程度時代と社会状勢に応ずるものと存じますが、過去の戦時中に国家に尽くした政治家、将兵、戦時産業家などはそれが最善の道であると信じ、また個人の意志にかかわらずそうせざるを得なかったと存じますが、このことも神様からご覧になった場合やはり罪になりましょうか。また他面、日本を敗戦に導きその結果日本を本来の姿に帰したことはかえって功徳とも考えられますが、この功罪はいずれをとるべきでしょうか。
これは小乗と大乗によって考え方が違うんです。戦争中国家に尽くした人々は小乗の善人であり敗戦によって日本が救われたというのは大乗の考え方なんです。それで、私は終戦の翌日来た人には、「本当はこの敗戦を祝うべきだ」と言ったんです。あの時代の政治家も本当じゃなかった、日本さえよければ他国民は不幸になってもかまわないという考え方であり、非常に日本的だったんです。これはたいへんな間違いですよ。やはり世界的人類愛的でなければいけないんです。例えば、日本の「皇道」をロシアへ持って行ったって、おそらく一人も信奉する人はないでしょう。
そこですよ、それでは世界は救えないんです。ひとりよがりの思想はいけないんです。
軍人ってのは他国民を集団的に殺す練習をしてたんですからね。だから東京裁判で絞首刑にされたのはあたりまえですよ。産業家だって戦争で大いに儲けようとした、まあ、泥棒の提灯持ちをしたようなもんですよ。これが敗戦によって目が覚めたわけなんですから、非常に結構なんですよ。
「『御光話録』十二号、岡田茂吉全集講話篇第二巻p328」 昭和24年06月23日