昭和二十四年六月三日 講話(26) 光録12

〔 質問者 〕日本人は火の霊統で陽であるから陰を好むとのお言葉でございましたが、人間は反比例を好む性質があります。しかし、人間の本性そのものは明るさを好むのではないでしょうか。人が賑やかな町や市に集まるのはこの明るさを好む性質の表われと存じますが、いかがでしょうか。また、さび、静寂 (詩、和歌、俳句など)を好む性質と、明るさを好む性質との差異について御教示をお願い申し上げます。

 このさびのところはちょっと変ですね。人間は反比例を好む性質があるっていうのは、陽は陰を好み陰は陽を好むってことでしょうね。しかし、この陰陽の中にも善悪があるんですよ。日本人がさびを好むっていうのは、いい意味での陰で、だからこれはいいんです。悪の陰というのは、暗い所で悪いことなんかすることですね。

 明るさって言っても、明るいのと静寂とそう反するもんじゃありません。賑やかな所に集まるのは人類全部の要求で、別に日本人に限ったことじゃありませんよ。……日本人は陽性だからかえって静寂を好むんです。例えば、音楽だって日本の音楽は静かで聞いてる者の気が静まるようですが、西洋のは気を浮き立たせるようなリズムを持ってますね。特に米国人のはそうなんで、米国人が一番陰性なんですね。よくいろいろと考えればじき判断がつきますよ。

 それからもう一つ、こういうこともあるんです。昔、日本はひどい封建制だったから、人々は非常に圧迫された。しかし、自分の悲しい気持ち、悲哀の持ってきどこがなかったから、そのはけ口として劇やなにかで悲劇を愛好したんです。それで慰められたんですよ。特に昔は悲劇が多かったんで、中でも義太夫なんかはそうなんですね。人間は同じような境遇を見ると、とても慰められるもんで、悲劇でも自分と同じような悲しさが出てくると、非常にひきつけられるものなんですね。

「『御光話録』十二号、岡田茂吉全集講話篇第二巻p313~314」 昭和24年06月03日