〔 質問者 〕「私の腹に光の玉がある」とのお言葉でございますが、その玉は体的なものでしょうか、あるいは霊だけの玉でございましょうか。
そうですね。なかなか難しいんですよ、この説明はね。この玉ってのは如意の玉で、つまりこれは神様のほうから霊線によってある光を送られるんで、これはその神様の御神体ともなんともちょっと言えない……光そのものなんですよ。しかし、これは本当は人間が使うべきもので、これによって神力が出るんです。観音力って言うのはそういうものなんですよ。ところがこの玉をいままでは使う人がなかったんですよ。時期が来てなかったから使えなかったんです。夜の世界の間は水素が多かったので、その玉が水素に包まれていたんです。それが昼の世界になり水素が少なくなってきたので、それにつれて玉の光が強くなってきたのです。そこのところがなかなか難しいんですよ。
〔 質問者 〕では、現界から申しますと、大先生様が主で、玉が従ということになるのでしょうか。
そうとも言えないんです。主であり従であり、従であり主であるんです。昔ね、玉の争奪戦があったんですよ、神様と邪神との間でね。そして玉を邪神にとられたことがあるんです。よく龍が玉を持ってるでしょ、あれですよ。龍神が玉をとったんですよ。それが夜の世界の間のことなんです。
〔 質問者 〕肉体を通さぬと力が出ないといたしますと、主神は、大先生様に御顕現になって御力を振われる……と考えさせていただいてよろしゅうございましょうか。
そいつはね、いまそういうことを言われると困るんですよ。それを言うと人間が寄って来てうるさくて仕事もできやしませんよ。……キリストだってそうですよ。エホバから力をもらって仕事をしたんですからね。で、自分は神の子だ、エホバの命により生まれて来たんだって言ったんですがね。
ま、だいたいそういうわけですよ。ですからふつうの人は偉く見せようと思って一生懸命なんですが、私は偉く見せまいとしてどれくらい苦心しているか判りゃしません。大勢ワッと寄って来ると仕事ができなくなりますからね。すべて宇宙の神秘といったようなあらゆるものを書くだけ書いて……ですからいま一生懸命に書いてるんですよ。まあ、来年いっぱいはかかるでしょう。そうするとたいへんですよ。それが時期なんです。
そこで、昔から「和光同塵」って言いますね、「光を和め塵に同れる」って。つまり和光同塵ですね……