昭和二十四年六月十三日 講話(1) 光録12

〔 質問者 〕言葉と言霊について、
(一)こちらの発する言葉が相手を益すると思われる場合には、嘘、怒り、泣き言の相槌などの言葉を発してもよろしいでしょうか。

 嘘はしかたないですね。「私の病気はどうでしょうか」と訊かれて、「あんたのは絶対治りっこありません」って言ったんではガッカリしますからね。(笑声)「治るから安心しなさい」って言うのは、嘘であってもいい嘘ですよ。

 怒りは、天下国家のための怒りならいいが、個人的のはいけませんね。また、怒りを行動に表わすのは勿論いけない。第一、そんなことは益がありませんよ。よく子供をぶつ人がありますが、そうするとその子供はまた他の子をぶったりすることになるんです。けれども、どうしても怒らずにはいられないときもありますよ。それを我慢してると精神病になる。(笑声) 女の人なんかにもおやじに叱られたり、誤解されたりしてボーとなることもありますね。だから、そこは臨機応変にしたらいいんですよ。

 嘘や怒りも原則としていい働きのものならいいんですが……しかし、この道を宣伝して人を信仰に入れようとする場合に、目的のためには手段を選ばぬ人がありますが、こんなのはいけませんよ。やはり神様のことはどこまでも正しくやらなくちゃあ。本当のことであり、ありがたいことだから信仰する、っていうのが正しいんです。

 まあ、嘘が言えないようになるのが本当ですね。

 泣き言の相槌、これは打つべきですよ、その人の慰めになりますからね。しかし、これも程々ですね。あんまり相槌ばかり打ってたんではこっちもつらいですからね。そういうときにはね、こっちが先に急所をポンと言ってやるんですよ、そうすると相手も泣き言をやめますよ。

 つまりね、誠をもって神様にお任せしてやれば、そのときにちょうどいい適切な言葉が出ますよ。だから、心配する必要はありませんね。

「『御光話録』十二号、岡田茂吉全集講話篇第二巻p314~315」 昭和24年06月13日