昭和二十四年五月三十日 講話(4) 光録08

〔 質問者 〕私(二八歳)の主人は五年前戦死いたしました。主人は末子で、戸籍上は分家いたしておりますがまだ分家の形はとっておりません。いま私は里へ帰っておりますが、主人の霊は主人の家で祀るべきでしょうか、あるいは実家で祀るべきでしょうか。

 これは両方でお祀りしなければいけませんね。里に帰っても、一度夫とした以上祀ったほうがいいですよ。それから、無論、本家でも祀らねばいけません。祀り手は多いほどいいんです。多いほど霊の向上が早くて、霊界でまあ顔がよくなるんですよ。

 それから、同じようにお祀りしてもね、祀る人の気持ちがだいぶ影響しますよ。ただ形式だけでは霊のほうであまり感応しないんです。水を一杯上げるにしても、本当に「お上がりください」って気持ちで上げると、霊のほうも飲めるしまた水もおいしいんです。しかたなしに、上げなくちゃならんから上げるっていうんでは、霊は飲めないんですよ。先にね、喉が渇いてしかたがないっていう霊があったんですが、「あんたはちゃんと毎日水を上げてもらってるじゃないか」と言ったら「いや、上げる人が本当に、上がってくださいって気持ちではないから飲めない」と言ってましたがね、そんなものですよ。

「『御光話録』八号、岡田茂吉全集講話篇第二巻p」 昭和24年05月30日