〔 質問者 〕日本文化の特色として「物のあわれ」や「さび」などが挙げられますが。
(一)文化にも霊統ということがあるものでしょうか。
(二)もしあるものでしたら、「物のあわれ」「さび」などは大和民族のものでしょうか。
当然こういう疑問が湧いていいはずですね。これは大いにあるんですよ。
日本人は火の系統で、陰陽に分けると陽になるんです。従って陽だから陰を好むんです。芝居でもなんでも悲劇を好むんで、総じて泣く芝居が好きでしょう。ところが、アメリカ人は嫌いですね。笑うほうが好きで、喜劇がふつうなんです。これはね、西洋人は陰の人種で、系統が水ですから、どうしても陽……華やかさを好むんです。だから西洋には「さび」なんてものは発達しないで、すべて絢爛たるもんですよ。絢爛ならまだいいけど、支那なんかのは同じ華やかでも毒々しいですね。これは、支那人が東洋の中の陰だからああなるんです。
これから世界が縦と横の十文字になりますから、日本人が絢爛たるものをもっと好むようになり、アメリカ人は「さび」だとか「わび」だとかを好むようになって、世界が平均してくるんです。いままではそれが著しく差があり、特色があったわけですね。そういうわけで、「さび」や「物のあわれ」は大和民族の特色なんです。
〔 質問者 〕「さび」などは茶の湯からきたものと言われており、また茶の湯が仏教の禅宗から起ったと伝えられておりますが、そういたしますと「さび」や「わび」は仏教の系統とは考えられないものでございましょうか。
そうも言えないですね。それからまた、仏教にもいろいろあって、禅宗は黒い衣に白い下着ですべてが簡単ですが、本願寺のほうは金ピカで道具も赤く塗ったりして陽気ですね。その禅宗が「さび」を持っているんで、それから茶の湯が出たんです。
茶の湯は千利休に始まったって言われてますが、その前からもあったんです。桃山時代、秀吉が豪華なことを好んで実に絢爛たる桃山美術を作ったんです。いまでも、京都には到る所にその名残りがありますが、ところが毎日油っこいものを食べてると、今度はおこうこで茶漬が食べたくなるようなもんで、秀吉が豪華を極めると、今度はそれに倦きてきて「さび」の趣味が起ってきて、それを利休にやらせて人々に奨励させたんです。利休って人はなかなか立派な人でしたからね。
〔 質問者 〕「物のあわれ」は平安時代、藤原時代にその極点に達したように存じますが、そういたしますと「物のあわれ」は藤原氏の霊統のものとは言われないのでしょうか。
これもそうは言えないですね……
なんですね、和歌にもいいのがありますね。私はあの西行の歌が一番好きですがね、あの、
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ
って言うのね、実によく「わび」を出してますよ。鴫立つ沢って言うのは大磯にあるんですが、まったくこの歌は秋のなんとも言えない感じがよく出てますね。私はこれが一番好きですね。それから俳句なんかにもありますよ、あの闌更ね、この人の一番有名な句は
枯れ蘆の日に日に折れて流れけり
って言うんですが、秋の深まって行く感じが実によく出てますね。