昭和二十四年五月十三日 講話(1) 光録10

〔 質問者 〕人が死ぬと「寿命だった」とか、あるいは「医者にかかって寿命が延びた」とか申しますが、寿命ということは決まっているのでしょうか。

 これは大いに違いますね。自殺や他殺や病気などで死ぬのは寿命じゃありませんよ。寿命が尽きて死ぬのはそんな苦しみがないんです。いまの人は、神様からいただいてる寿命を無理に縮めているんです。つまり不自然死ですね。自然死は九〇以上で、九〇以下はみんな不自然死ですよ。自殺、他殺、病死、それから医者にかかって死ぬのなんて……ま、これは大きな声では言えませんからあとは察してもらえばいい。(笑声)……本当のことを言うのは実に難しいことでね、嘘を言うほうがずっとやさしいんです。 だから、私は「嘘を言うと本当にし、本当を言うと嘘にする」ってよく言うんですよ。
  

〔 質問者 〕そういたしますと、楽に死ぬ場合は寿命と考えてよろしいでしょうか。

 ええ寿命です。しかし楽に死ぬんでも、九〇以下で死ぬのは寿命じゃありませんよ。人間は間違ったことをしてきたから、まあ、九〇でしかたないんですが、本当はどうしたって一二〇は生きられるものなんです。だから人生を四季に分けるといいんで、三〇、三〇ずつね。人生三〇までが春ですよ、それから六〇までが夏で、九〇までが秋、一二〇までが冬なんです。だから私は九〇を越してから隠居するって言うんです。冬だから冬眠ですかね。(笑声) で、九〇までは大いに働き続けるつもりです。また事実人間はそうなっているんです。

「『御光話録』十号、岡田茂吉全集講話篇第二巻p229」 昭和24年05月13日