昭和二十四年四月二十三日 講話(15) 光録07

〔 質問者 〕その人の霊には判っていることでも、その人の頭脳にははっきり判らないことがたくさんあると存じますがいかがでしょうか。

 これはどういうわけでしょうかね。霊はその人に入っているものなんですがね。
   

〔 質問者 〕例えば霊は何回も生まれ変わっているのに、現在その人の頭脳には前世のことが判らないわけでございますから、そういうことが言えるのではございませんでしょうか。

 ええ、前世のことは判らないですよ。判らないように神様は作ってらっしゃるんですよ。また前世のことが判っても都合が悪いですよ。よその人の細君を見てね、「あ、あいつは前世で俺の女房だった」なんてね(爆笑)細君ならまだいいけど、前世で恋人だったりしたら困りますよ。(笑声)
   

〔 質問者 〕例えば、生き霊が憑る場合に、いま生き霊が憑っているということはその人の霊には判らないわけでございますか。

 ええ、霊には判らないんですよ。
   

〔 質問者 〕このことは高級な神仏が人間のお姿にお生まれになっておられる場合にも言えるのでしょうか。

 これも判りませんね。私なんかもそんな神様が憑っておられるっていうことはなかなか判らなかったもんですよ。なにか神様に弄れているような感じがしょっちゅうしたもんですよ。ま、いろんなことで知らされてはっきり判ってきたんですがね。
   

〔 質問者 〕例えば、大先生様に御守護をお願いする場合、大先生様の御頭脳にはそのお願い事がお判りにならないわけでございましょうか。

 私のことですか。ええ、私には判りませんよ。いちいち判ったら忙しくてたいへんですよ。それから霊界にも私の信者がたくさんいてね、私にお願い事をしても、その信者がたいてい片付けてしまうんですよ。それからその人の守護神が働きますしね。

「『御光話録』七号、岡田茂吉全集講話篇第二巻p~」 昭和24年04月23日