〔 質問者 〕法身<ほつしん>、報身<ほうしん>、応身<おうしん>について。
【 明主様 】報身――地――釈迦、法身――月――阿弥陀、応身――日――観音となり、観音が一番上である。
法身は水の働きのみで彼世<あのよ>のことが主である。この世の救いよりは霊界すなわち浄土へ救うのが眼目である。阿弥陀は西方<さいほう>へ浄土を作って、仏すなわち覚者となったものを我方へ来るようにと釈迦に誓った。よく寂光の浄土と言うが寂光とは寂しい光すなわち月の光で月の霊界である。
報身は地になるから下であるが、ある場合上になることもある。それは観音や阿弥陀を生んだからその母ということにもなる、親が子を生むというが、子が親を生むともいえる、つまり子ができて初めて親という名が生まれる。
応身は一番働きが大きいんで、三位の働きを一身でなされるのである。応身とは種々の面に応ずることで一つものに捉われない、それで六観音三十三相に化身されるのである。なにごとも融通がきかなくてはいけない。相手が固苦しければこちらも固く、さばけておればこっちもさばける、相手により自由に応身する。ちょうど玉が転がるようにいささかも角があってはいけない。いわゆる円転滑脱である。女には女に向くよう、男なら男に合うようにその相手の好むようなことを話してやる。ところが世の中には自分の好きなことを相手に押しつけ従わせようとする。これは応身ではないから嫌われる。またこっちから話するより相手の話を聞くほうがよい。すなわち話上手より聞き上手になることである。
〔 質問者 〕神力、金剛力、観音力について。
【 明主様 】この力の根元は同じことであるが、そのときの表わし方により違う。例えば観音力は仏界のある間の力で月の力である。仏力の表わし方であるから弱い。神力は仏力より何十倍も強く金剛力とは神力を発揮する場合の言葉。
〔 質問者 〕神龍、天龍、金龍、銀龍について。
【 明主様 】神龍とか潜龍(せんりゅう)といっても特別の意味はない。天龍は天界を守っている。地上では金龍が最高であって次が銀龍である。龍神の偉くなったのが神龍である。皎龍や白龍などもそうとうの格式がある。