昭和二十四年四月四日 講話(5) 光録07

〔 質問者 〕真理は発見さるべきでしょうか、発明さるべきでしょうか。

 これは問題になりませんね。真理の発明なんてありませんよ。よく、真理の探究って言いますが、あれがいいんで探り究めるんです。真理ってのは永久不変のものです。一万年前だって、一〇万年前だって変わってませんよ。そしてその真理を探究するってのはいいことですよ。一つでもよけいに知るのは結構ですよ。

 ただ気をつけねばいけないのは、真理でないものを真理と間違えることですよ。一番の真理ってのは太陽が東から出るってことですよ。これには一点の間違えもありませんからね。人間が生きるってのも真理ですよ。また、眼で物を見、鼻で匂いを嗅ぎ、舌でしゃべる、これも真理です。こんなことは判りきってますがね、この判りきったことが真理なんですよ。反対にややっこしいことは真理ではありません。あのマルクスの『資本論』なんてとてつもなくややっこしいもんですがね、あんなものは真理ではありませんよ。ややっこしくするのは真理でないものを真理であるように見せかけようとする技巧ですよ。仏教のお経も、とても長ったらしいややこしいもんですが、あれだって真理は少ないんです。そこで「真如」って言うんです。真の如しですからね。真理のようなもんで実は真理じゃないってことですよ。だから、仮の娑婆、仮の世って言うでしょう。あるいは、一切空とか空々寂々ってね。そりゃあ真理でなけりゃ空ですよ。(笑声) 実相って言うのが本当で、真如ってのは一時的の仮のものですよ。

 よく八万四千の経文って言いますがね、あれなんかも真理じゃないんですよ。真理ってのは簡単なもんですよ。御浄霊で病気を治しますね、これは真理ですよ。あらゆるものは火、水、土の力に関係のないものは一つもないんですからね。そしてこの御浄霊は火、水、土の力ですからね。

「『御光話録』七号、岡田茂吉全集講話篇第二巻p~」 昭和24年04月04日