昭和二十四年一月八日 御講話(19) 光録03

〔 質問者 〕いままでの夜の時代のいろいろな人生の苦しみは、ただ夜の世界だから苦しみがあったというばかりではなく、やはり神様の人間に対する試練としての苦しみもあったと考えてよろしいでしょうか。さらに昼の世界においても人間を向上せしめ、深み、うるおいをつけるため神の試練としての苦悩、悲哀、……例えば恋愛における失恋の苦しみのように……もなんらかの形で存在するのでしょうか。

【 明主様 】 神の試練ということは本当はないのです。人間のほうでそういう理屈をつけたんです。神様が人間にいいものを授けようとするとき、容物が汚れているのでまずその容物を掃除してくださる、そのときが苦しみなのです、だからそれが浄化なのです。そしてそれがすんできれいになればいいものを神様が与えてくださるのです。だからそこで人間は、「あああの苦しみは神の試練だったのだ」というふうに考えるのです。……また、失恋の苦悩といっても、恋愛というのが一つの執着なんだから、結局自分で勝手に執着して苦しんでいるのです。(笑声) だから問題ないですね。

「『御光話録』三号、岡田茂吉全集講話篇第二巻p~」 昭和24年01月08日