〔 質問者 〕よく六根清浄と申しますが。
五臓六腑の六腑を浄め、その諸機関から生ずる諸の欲を去ることで、よく山へ登るときに唱えますが、昔から山は聖なる霊場として敬虔なる風装、態度で登山したものでした。いまは山を征服するなどと申して、山に祭ってある神様や、山に鎮まる天狗の霊などを無視しますが、よく山で遭難するのは、山を汚し、山を軽蔑して、天狗の霊が怒ったからです。遭難は山の危険の程度より、山の天狗霊の性質によることもあります。ですから、登山は敬虔な態度で、大小便などをするときも汚してすまぬと詫びるくらいの信仰的態度が欲しいものです。
勿論山そのものが非常に危険で、そのため遭難することもありますが、そんな山でも神様にお願いして登山すると万事好都合です。
「実生分会『実生分会ニュース』一月号、岡田茂吉全集講話篇第三巻」 昭和24年01月01日