昭和二十三年十月十八日 御講話(5) 光録(補)

 〔 質問者 〕救いと裁きの関係につき御教示をお願い申し上げます。

 これは密接な関係があります。裁きがあり善悪があるから、救われるのと救われないのが決まるのです。ふだんだって神様は裁いておられるが、ふだんの裁きと最後の審判とは意味が違うのです。最後の審判においては人類全体が裁かれるのです。しかしだれでも裁かれないうちに悔い改めることが救われることなのです。……そこで一番困るのは、人間が人間を裁くことです。これが一番間違っている。あの人はいい人だとかなんとか言って人を裁くのは、その裁く人自身が裁かれているのです。人を裁く前にまず自分を裁くことです、反省することです。他の人をいい人だとか悪い人だとか言うことはたいへんな間違いです。また救いということにしても、人間が人間を救うことはできない。救いをなさるのは神様であり、人間はただその道具にすぎないのです。しかしその道具に使われることがありがたいのです。

「『御光話録』(補)(年代不詳1951頃)、岡田茂吉全集講話篇第一巻p」 昭和23年10月18日