昭和二十三年九月二十八日 御講話(1) 光録(補)

〔 質問者 〕霊は個性を持っているのに、再生した場合、前世のことを記憶していないのはなぜでしょうか。

 判らないほうがいいんですね。判ってはいけない。以前俺は何々だったと判ると障りになる。ちょうど寿命が判ってはいけないのと同じです。つまりいつまでも生きてると思うから働けるのであり、あと何年何月で終わりと判ったら働けない。前世のことは魂そのものにも判らないのです。もし判れば「あいつは前世で俺の家来だった」ということになってしまう。ただある霊覚を持ってくると判ることがあります。私も歴史上これは自分だと思われる人々がそうとうあります。私は天皇にもなったことがある。それは応神天皇で、最初麹町で治療所を作ったとき「応神堂」と称した。また尾形光琳、義経もそうです。たびたび生まれてますよ。光琳なんか好きで好きでしかたなく、美術をやっていたときはなんの気なしに光琳堂と称してました。尾形は岡田と通じてます。

「『御光話録』(補)(年代不詳1951頃)、岡田茂吉全集講話篇第一巻p492」 昭和23年09月28日