昭和二十三年七月十八日 御講話(1) 光録(補)

 〔 質問者 〕仏壇に「善言讃詞」を奏上する場合、御屏風の観音様に対して「幽世大神」と申し上げるのはいかなるわけでありましょうか。

 観音様にはいっさいのお働きがあり、幽世大神にもなるのです。幽世大神は閻魔大王ですから観音様は間接的に閻魔大王にもなるんです。……観音様は現幽神の三界を司るのです。

 〔 質問者 〕そういたしますと裁きも司られるのでしょうか。

 観音様には裁きのお働きはない。御救いのお働きだけです。いっさいを無差別に救われるのです。……観音様と閻魔大王とは裏表になってるのです。神様にはいろいろとお役目があり、一つの神様もいろいろ役目をかねておられる。閻魔大王はいまは現界を司っておられる。以前はほかの仏様にさせていられたのですが、それはちょうど人間界でも運輸大臣をやった人も内閣が変わったりすれば文部大臣にもなるようなものです。幽世大神は観音様のお働きと解してよい。観音様を通して幽世大神に行くのです。

「『御光話録』(補)(年代不詳1951頃)、岡田茂吉全集講話篇第一巻p443」 昭和23年07月18日