昭和二十三年七月八日 御講話(11) 光録(補)

 〔 質問者 〕主人が教導師で御浄めさせていただいている場合、夫婦ともに浄化させていただくには妻はいかがいたしたらよろしいでしょうか。

 これは人為的にはどうすることもできない。自然にしておくより他にない。……夫婦が別に反対もせず・っていい場合と、反対していい場合とある。反対があるのはいいことで、それによって信仰が進むのです。というのはね、教導師になってもたいてい罪がある。で、神様はできるだけ早くこれを除いてやろうとなさる。罪を取るには人間が苦しむかまた善行を積めばよいのだが、人間は苦しむほど汚いものが出てくる。ところが信仰によって汚れをとるのは楽なのです。妻が反対なんかすれば、主人もいろいろ苦しみ、それにより汚れがとれる。そうすると妻も判ってくるんです。主人のほうが高まるにつれて妻もそれについてくるか、あるいはあんまり離れすぎてしまうと霊界へ行って出直すことになる。神様にお任せしておくのが一番いいのです。

「『御光話録』(補)(年代不詳1951頃)、岡田茂吉全集講話篇第一巻p」 昭和23年07月08日