昭和二十三年二月十八日 御講話(2) 光録(補)

〔 質問者 〕丹波のほうで三月二日に三分間空気がなくなり人類は滅亡するということを、インテリの人々も信じてマジメな顔で私に訊ねましたので、そんなことはないと申しました。

【 明主様 】そんなバカなことはありませんよ。地震の予言でもだいぶ騷いでいますね。私は地震はないと言ってるんです。これは学者の考えと逆ですが、学者は土地が沈下しているからあると言うが、私は沈下しつつあるからこそ地震はないと言うんです。地震は地殻の収縮なんだから一度に収縮するときは大地震だ。従って小きざみに収縮していれば大地震はない。

 予言というものは世界中にありますよ。先年もロシアだかで世の終わりが来たと言って何万という人が山へ登って待っていたなんてことがあったですね。ロシアには紀元前のころソドムという町があったが、これが地震で沈下してなくなったことがあるんです。これを連想して恐れたんでしょう。

 予言というものは外れるものですよ。キリスト教でも言ってますね。以前ある有名な牧師に世の終わりのことを訊ねたら、地上の人が全部死に、一〇〇〇年くらい経ってからまた生き返る。それが復活だとマジメな顔で言ってました。『聖書』に世の終わりには山々が噴火して川の水も熱湯となり大きな雹<ひよう>が降り、これに当たった人は死ぬとか、逃げるとき欲を出して家のほうをふり返って見た者は死ぬとか書いてあります。世の終わりとは夜の終わりのことですね。

 〔 質問者 〕いろいろ予言はあったですが、大先生のようにハッキリ言われなかったんですナ。

【 明主様 】そうでしたね。

「『御光話録』(補)(年代不詳1951頃)、岡田茂吉全集講話篇第一巻p367~p368」 昭和23年02月18日