理屈の前にまず実践

 信仰は詮<せん>じ詰めれば奉仕そのものであります。ところが、とかくいまの人はなんでも理論がさきに立ち、実行は後廻しになりやすいものです。とくに、青年などは頭でっかちのところがあります。それで、青年は非常に進取的で実行もされますが、どちらかといえば、レクリェーション的なことや、スポーツ的なことには積極的であっても、栄光紙配布<えいこうしはいふ>というようなことは、敬遠<けいえん>されている面もあると思うのです。もちろんスポーツ的なことも身心の鍛練ということで結構であります。しかし、精神鍛練ということからいいますと、栄光紙配布の方がお力がいただけるのです。そして、信仰の向上にもなるのであります。

 いやだというと語弊<ごへい>がありますけれども、確かに栄光紙配布は勇気のいる仕事です。ときには番犬に吠<ほ>えられることもあるし、物乞<ものご>いや押売り扱いされて、冷めたい目で見られたり、ほんとうにいやになってしまうこともあります。けれどもまた、快<こころよ>く買ってもらったときには、実にたとえようもなく嬉<うれ>しいものであります。そして、何部かでも配布ができたときには、全く天にも昇るような気持がするものです。

 これは経験者でなければちょっとわかりません。私もそういう経験を過去に持っておりますので、みなさまの喜びや苦しみは、少しはわからせてもらっているつもりであります。しかし、こういうことが青年の精神鍛練にはもってこいなのですから、若い方は一度は経験しておかれることをお勧めいたします。

 道のため人のためと思ってする奉仕には、必ずおかげがあるわけです。第一は信仰が向上します。疑問に思っていたことが、奉仕をしておりますうちに、フッと神様から智慧証あります。

 みなさまは今度はこのできあがった教団を基礎といたしまして、このうえにさらにより新しい、より高度のものを作っていけるということで、非常に恵まれております。どっちが難<むず>かしいかということは言えませんが、だんだん時代も移<うつ>り変わってまいりますから、やはり、創造、創造を重ねていくよりほかはありません。世の中の向上は無限ですから、立止まっているわけにはいきません。むしろ、それをリードしていくべきものでありますから、少しも休んでいることはできないのです。

 本教の国づくりというものは何代も何代も相継ぎ、相伝えていかなければならないものであります。もちろん、時代は進み、仕事も変わっていくでしょうが、地上天国完成のために働くという一事のみは、なんらの変わりもないはずです。みなさまが時とともに進むには、まず確固たる信仰信念をもったうえで実社会にのぞみ、実践をとおして実理をつかみ、自分という人間を磨き育てて、次第に高く広い人格をつくりあげていただきたいもの -『続きなし?』-