神さまを信仰するということは、ただありがたいといって手を合わせておるだけでは、まだ本物ではないのです。それは信仰の信だけはあっても、行いが欠けておりますから、霊体一致になりません。ちょうど、お腹<なか>に子が宿<やど>っても、みず子のうちになくなってしまえば、宿らぬまえとおなじことで、ご破算<はさん>になってしまうと同様に、信は心の状態であり、仰は体の状態で、霊体そろって、はじめて信仰の力というものが生まれてくるのであります。霊体一致してカが生ずるとか、あるいは神人合一<しんじんごういつ>して無限の力を生ずるとかいわれますのも、この理にもとずくのであります。
「栄光 五八〇号」