ご両親ゆずりのお徳

 それで、ご両親は、浅草観音の境内に古道具の夜店を出されたこともあったよしですが、そんな暮らしの中でも、お父さまは大のきれい好きで、おかしな話ですが、自分専用の便所を作られて、その便所は、家族のものにも使わせなかったほどだったと、明主様が笑って話されたことがあります。

 お母さまは、また大変冥利のよい方で、なんでもかでも勿体ないと言って始末されていたそうです。もっとも、乏しい家計の主婦としては、そうするより仕方のないことでしょうけれども、もっと根本的に、物を大切にされる方だったようです。
 
そういうお母さまと、善良で潔癖、凡帳面なお父さまとのあいだに育くまれ、人となられた明主様は、豪胆なご気性の半面にそうしたものを兼ね備えておられました。
 
あれほど大胆に、だれもまねが出来ないように、巨費を投じて名品を手に入れられた時でも、その一面に一枚の半紙、一枚の鼻紙でも粗末にはなされませんでした。その時分の鼻紙は、懐紙を使っておられましたが、一度お使いになっただけではお捨てにならず、いつも傍らのお手盆の中へ置き、二度のお務めをするのがそこにちゃんとあって、私どもは困ったものです。そのくらい大切にお使いになりました。
 
タバコなどもやはりそうで、昔から手広くご商売の卸をなさっている時でも、吸口の終わりまでお吸いになりました。後年、お下がりをちょうだいしたいという人が出来まして、ひと口ふた口お吸いになると、『とっておいて、みなにやれ』ということで、ちょっとお吸いになられただけですが、本来はそういうふうであられました。
 
また、手拭でも、お正月におろしますと、それを一年中お使いになり、変色してボロボロになっても一年は使っておられました。
 
そしてまた、その潔癖さというのはおもしろいもので、もし他人がさわるといけないというので、とくに柱へ竹釘を打ちまして、そこへ絞って両端をピチッと揃え、まるで棒鱈のようにして掛けておかれ、決してだれにも手を触れさせないというふうに、なかなか親譲りのおもしろいところがありました。
 
また几帳面なことはお父さま譲りでしょうか、暗闇でもどこに何があるか、抽出しの何番目には何があるか、いちいち決まっていました。ちょっと置き方が違っても、『だれかいじったんだろう』とすぐ叱られるくらいでした。
 
御神体、御神書の扱い、美術品の扱いなども特に厳しく教えられたものです。
 もちろんご両親は恐らくこうせい、ああせいなどと明主様に教えられたことはないでしょうが、少年時代のご生活の中で泌み込んだご両親の両面が、ちゃんと明主様に受け継がれていることを思わずにはいられません。