白紙<しらがみ>へ墨もて書きし文字さへも光を放つ観音力かも
一つ一つの文字の力に世の人の生命を救う奇しき神業<かむわざ>
すでに記したように昭和一〇年(一九三五年)五月五日を期して浄霊は教祖が紙片に書いた文字を介して行なわれることになった。そして、教祖がみずから筆を執って書いたものを「お守り」と称したのである。教祖は自観荘へ移ってから、さらに新しく二種類を定め加えたので、お守りは全部で三段階に分かれたのである。
すなわち、立教以前からあった、身を守るお守り(「肌守り」と呼ばれていた)に加えて新しい肌守りが生まれ、さらに、人に向かって浄霊を取り次ぎ、救うことのできるお守りが下付されることとなったのである。
従来からあった肌守りは、教祖の揮毫した「光」という文字のものであったが、新しくできた肌守りは、「光明」という文字と、印刷した千手観音像を一緒に袋に納め、首から掛けるものであった。この肌守りは浄霊はできなかったが、病人が掛けているだけで病気が癒され、観音の光、教祖の霊徳に浴することができ、時には重病人などに貸与することができるというお守りであった。
浄霊を人に取り次ぐことのできるお守りとは、「治療観音力」または「治病観音力」と経書きで教祖の文字が揮毫されていて、ふだんは桐の箱に納められていたが、浄霊を取り次ぐ時は首に掛け、手をかざして浄霊をしたのである。このお守りは、入信すると、誰にでも浄霊を取り次ぐことのできる現在の「おひかり」に相当するものであると言える。
しかし、この人を救うことのできるお守りは、前節で触れた通り、神霊による癒しの業を修得するための講習を受け、教祖より治療士の資格を与えられた者だけに下付されていたのである。