人間の使命は地上天国建設

 この世にありとしあるものは、みななんらかの用のために存在しているもので、その用を果たすことによって、惟神に生甲斐<いきがい>を感じ、欣<よろこ>びを得<え>ているものであります。そのなかでもとくに人間は、神様から重大使命を授かっているものであります。

 では、その使命は何かと申しますと、神様に代わって天地万有を支配<しはい>し、地上に永遠に栄える、真善美の天国を造りだすことであります。そのため、人間は神様と同じ形に造られ、そのうえ、清<きよ>く美しい直霊<ちよくれい>という水晶魂<すいしようだま>を賦与<ふよ>されておりまして、勇<ゆう>、智<ち>、愛<あい>、親<しん>の四魂<しこん>を正しく活用することによりまして、いっさいの事物の善悪正邪<じぶつぜんあくせいじや>を、取捨選択<しゆしやせんたく>して行動するの自由を与えられているのであります。そしてよくみますと、肉体はごらんのように現界に属<ぞく>しており、霊魂<れいこん>は霊界に属しておって、しかも、霊体一致<れいたいいつち>して調和を保<たも>ちながら、人間は活動しているものであります。そして、霊主体従が原則<れいしゆたいじゆうげんそく>でありますから、人間がよい心を持ちますと、相応<そうおう>の理によって、善神界の神様の御守護<ごしゆご>をうけてよい行ないができ、反対に悪い心を起こしますと、たちまち悪神の守護となって、悪い行ないをすることになるのであります。

 それで、なんといっても人間は心の持ち方が大切で、心次第の世の中といっても、過言<かごん>ではないと思います。極言<きよくげん>すれば、天災地変<てんさいちへん>の起こるのも、飢病戦<きびようせん>にあえぐのも、その原因は人間の心にあるといえましょう。今日のように科学が進歩<しんぽ>し、あらゆる文明の利器<りき>に恵<めぐ>まれながら、地上に天国がこないのは、何か大きな原因がなくてはなりません。それは、人類が知識<ちしき>にのみ片寄<かたよ>り、大恩ある神仏の大愛から全く離れてしまったからであります。現代の人間の大半<たいはん>は、知識と物さえあれば、この世は人間の意のままになるものと誤<ご>解<かい>いたしまして、おおけなくも、天地をお創りになられた大慈大愛の親神様を粗末にして、身体と心を与えられ、無限の生命をいただいて、日々衣食住業<ひびいしよくじゆうぎよう>すべて御守護の賜物<たまもの>ということをしらぬ、無神、無霊の人びとがあまりにも多いことであります。

 私どもは、けっして科学を否定<ひてい>するものでなく、科学<かがく>と神様と結ぶとき、はじめて地上に天国がくるものと信じ、人類が大愛にめざめて、物心一如<ぶつしんいちによ>の世界になることを、神様にお祈り申しあげ、かつ、ひとりなりとも人間本来の霊性にたち帰ってもらいたいと、およばずながら神様の御用を、させていただいている次第であります。人間の真の幸福は、安心立命と平和にあるのであります。

 人間は神様のご恩寵<おんちよう>の、深く厚<あつ>きに感謝いたしまして、いただいた人生を、自己<じこ>の一身一家の栄達<えいたつ>のために働くというのでなく、自分の器<うつわ>に応じて、神様から授けていただいた能力<のうりよく>を、そのまま世のため、人のために使わしてもらいますならば、神様は必<かなら>ずお守りくださって、幸福と歓喜<かんき>を与えられ、生存中<せいぞんちゆう>はもちろん、死後においても歓喜の生活は継続<けいぞく>されていくもので、とうてい、無信仰の人びとには想像<そうぞう>もおよばない、信仰なればこその楽しい境地<きようち>が与えられるのであります。