人間の霊魂<れいこん>は、大宇宙<だいうちゆう>の大霊魂の分派<ぶんぱ>であり、肉体も同<おな>じく、宇宙大なる神様の巨体の一断片<いちだんぺん>なのであります。ゆえに神様から造られた人間は、小なる神であります。人間が思うこと、行なうこと、創作<そうさく>すること、一切合財<いつさいがつさい>が神様と切っても切れぬ繋<つな>がりにあって、人びとは生活しているのでありまして、たとえば、神様は授<さず>けられ、人間は受けとるのでありまして、一方だけでは授受<じゆじゆ>の働きは、成り立たないのであります。
それで肝心<かんじん>の、元<もと>である神様から想念<そうねん>を離<はな>しておりますときは、たとえ、肉体的、世間的には立派<りつぱ>に生活している人も、これを霊性の面からみますと、永遠<えいえん>の生命に繋がっておらず、霊線<れいせん>が断<き>れていて、霊界に根<ね>ざしておらないため、霊的には幼稚で貧弱<ようちひんじやく>で、物質的、利己的<りこてき>にのみ生きる、気の毒な存在だといわねばならないのであります。それは、ちようど根を絶<た>たれた樹木<じゆもく>のように、一時は花が咲いて栄<さか>えるようにみえても、やがてはついに枯れる運命<うんめい>にあるのでありまして、人間の元は神様であり、元枯れて末続く道理<どうり>はないのであります。