何ごとにも勇気と善意でぶつかる

 とかく性<しょう>に合わぬ仕事をかかえて、無味乾燥<むみかんそう>な日々を送る人が多いようであります。実際就職難の今日では、毎年トコロテンのように、各学校から社会に突き出され、何はともあれ空<あ>いた椅子<いす>へしがみつく、というのが関<せき>の山です。

 しかし、一面からいえば、好まぬ場所で体験を積むということは、人間鍛練の一齣であって、若い人には必要なことかもしれません。最初気乗りのしなかった仕事でも、誠意<せいい>を持って取組むうちに思わぬ興味<きょうみ>が湧いてきて、成功したという例も少なくないのですから、〃人間万事塞翁<さいおう>が馬〃のたとえもあり、幸、不幸はしょせん心の持ち方、受入れ方ひとつにあるようであります。

 人間は何ごとにも勇気と善意をもって打<ぶ>つかっていき、そのひとつひとつを捕獲<ほかく>研究していけば、興味はさらに深まり、人生は無限の宝庫<ほうこ>であることをさとらせていただけるのであります。